フェルディナンド1世の騎馬像とフランス王妃~サンティッシマアヌンツィアータ広場_f0106597_042174.jpg


この記事は、より見やすく編集しなおしてメインサイト、フィレンツェ情報ラ・カーサ・ミーアの情報ページフィレンツェ見所案内 サンティッシマ・アヌンツィアータ広場 前編で地図付きで掲載しています。

他にもフィレンツェ情報を沢山掲載していますので、宜しかったらご覧下さい。
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# by lacasamia3 | 2008-09-10 00:59 | フィレンツェ小話 | Comments(12)

チピの冒険物語

チピの冒険物語_f0106597_1517445.jpg小学校が始まる前に、1つどうしてもアップしておきたかったのが、ユキちゃんが幼稚園から持って帰ってきたお絵かきです。沢山の力作があるのですが、今回は、「チピの冒険」

幼稚園の緑組さんでは、先生が1年間かけて、Mario Lodi著の"Cipi "(チピ)という本を読み聞かせをしてくれたのです。文庫本だから、絵はなく、子供達は先生が毎回1章ずつ語ってくれるお話にジッと耳を傾けます。その後、お絵かきの時間。イタリアの子供だからなのでしょうか、子供達は全員で同じテーマを与えられることを嫌うそうです。だから、他の子が皆、好きな絵を描いている間に、毎回違う子供達が4、5人だけピックアップされ、その日に聞いた1章分のお話を絵に描いたのです。チピの絵を描く子は毎回ローテーションで替わり、全員が満遍なくあたるようにしていたそうです。

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お話は、チピというスズメが卵から生まれ、様々なキケンを乗り越えながら育ち、最期にはメス鳥を見つけて巣を作り、再びこすずめを育てていくという話です。

先生達は、学期の終わりに、それぞれの子供達が描いたお話を他の子分もカラーコピーを取り、まとめて、1冊の本にして下さったんです。コレだと、自分の子供の絵だけでなく、お友達の絵も楽しく鑑賞することができるし、再び、チピのお話を読み返すことが出来るという素敵なアイデアです。A3サイズのカラーコピーはとてもクオリティーが高く、どうやら、印刷の仕事をしているクラスの子のお父さんが協力してくれたそうです。


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↑これは、ユキちゃんの1枚目の絵。
先生が、子供達に「これはなあに?」と聞いて、子供達が答えたコメントもちゃんと書いてあります。

「お父さん鳥」
「パラッツォ」
「3個の卵を温めているお母さん鳥」
「綺麗なお花が沢山咲いているお庭」



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左: わはは、太陽が口紅をつけています(笑)

右: これは、ユキちゃんのお友達N君の絵(部分)。N君のお父さんは、猛禽類センターでボランティアをしています。だから、フクロウの絵がとっても上手!
「チピとスズメ」
「彼らの気を惹いて食べようとするフクロウ」
「星」




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↑ユキちゃん2枚目。何故かユキちゃんはクラスで唯一、画面を4つに分けて1つの章の中の4つのエピソードを4コマ漫画形式で描き始めます(笑)

左上: マンマの巣に戻っているチピ」(更に画面を2つに分けて、チピの帰りを待つ母鳥と、一生懸命に飛んでいるチピを同時に描いています)

右上:「黒くて深い穴に落ちるチピ」(煙突なんですね。ははは、うちにも煙突があるからか、内部構造はかなり正確に描いています)
「家の中には子供がいます」

右下: 「子供達はチピの足を縛り付けてしまいます」
「マンマが『私の小さなチピ、マミーの元に飛ぶのよ!』と言います」

左下: 「チピは他のスズメ達に、自分の冒険談を語り、あの黒くて深い穴の中にいる子供達がいかに意地悪かを伝えます」



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↑ユキちゃん3枚目。ここでもやはり4コマ漫画形式です。

左上: 「チピとスズメは、月に向かって、『お月様、夜のシニョーレはこすずめにとっては殺し屋なんだっていうことを証明するのを手伝ってくれますか?』と聞きます」

右上: 「お日様、あなたは僕らのお友達なのだから、夜のシニョーレの化けの皮を剥ぐのを手伝ってくれますか?」

左下: 「雲さん達、世界中を旅するあなた達だから、夜のシニョーレは殺し屋なんだって皆に伝えてくれますか?」

右下: 「風さん、夜のシニョーレの全てを知っているあなたは、彼がこすずめの殺し屋なんだっていう証拠を見つけてくれますか?」

(風という形のないものを、こうして擬人化しているところが面白いです)

他の子の絵もとても上手でした。
子供達は、週に一回の「チピ」の読み聞かせをとても楽しみにしていたようで、ユキちゃんも良く私に「今日のチピはね・・・」と語ってくれていました。
全く絵のない本の読み聞かせだから、子供達が描いた絵は純粋に子供達の空想の産物です。

辛抱強く、子供達を指導して下さった先生達に大感謝です。

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# by lacasamia3 | 2008-09-08 16:43 | イタリア子育て~幼稚園編 | Comments(20)
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二人目のフランス王妃~マリア・デ・メディチ_f0106597_19403266.jpg
再び、コジモ大公の次の世代、フランチェスコ1世(とビアンカ・カペッロ)の死後、トスカーナ大公となったフェルディナンド1世に話を戻します。
フェルディナンドは、マレンマ地方の農耕開拓、リヴォルノの港町としての発展、サラセン人や海賊により荒らされていた地中海の海運の統治(それによる東方との貿易の活発化)、などに成功し、トスカーナに多くの富をもたらします。
フランス王家との結びつきを図り、自らもフランス王妃カテリーナ・ディ・メディチの孫娘と結婚しますが、更にある縁談を企画します。


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故フランチェスコ1世と故ジョヴァンナ・ダウストリア(フランチェスコの先妻)の間には、成人した息子は居なかったものの、4人の娘がいました。フェルディナンドは、フランチェスコ1世の娘マリア(1573-1642)とバツイチだったフランス国王アンリ4世(先妻はカテリーナ・デイ・メディチの娘にあたる王妃マルゴ)結婚を企てます。イタリア語読みでは、マリア・デ・メディチですが、日本では、フランス語読みのマリー・ド・メディシスが一般的なようです。今回私は、イタリアびいきで(笑)マリアと記載します。マリアには何度か縁談話があったものの、上手くいかず、25歳まで独身だったのです。左の画像は、1595年頃にフィレンツェの画家アローリが描いたフィレンツェ時代のマリア(当時22歳)。財政困難であったフランス王家と、政治的にフランスとの結びつきを取り戻したかったフィレンツェがお互いの利益になるこの結婚に合意します。

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1600年10月5日にアンリ4世当時43歳、マリア当時26歳(結構、当時にしては晩婚・笑)は結婚します。
当初は、フランス側よりマリアの持参金100万ドゥカーティと提示されたのですが、フィレンツェ側との交渉により、40%引きのディスカウントして(爆)60万ドゥカーティにまで下がります(交渉してみるものですね!って実は、当時フランス王家はメディチ家に対して既に100万ドゥカーティの負債があったのでした・汗)。当時かなりの財産を蓄えていたフェルディナンドにとっても膨大な金額であった為、足りなかった分を、フィレンツェの貴族がカンパで(笑)補ったそうです。フィレンツェが「フィレンツェ出身の二人目のフランス王妃」でいかに沸いていたかが想像できます。


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フィレンツェで結婚の契約が行われた様子(画像上)、マリアがリヴォルノから船でマルセイユ到着し、フランスに上陸した時の様子(画像左)などは、現在、ルーブル美術館に展示されているルーベンスの連作「マリー・ド・メディシスの生涯」で描かれています。余談ですが、マリアはカテリーナ・ディ・メディチと違い、生涯で余り大きな功績を残さなかったので、ルーベンスも彼女の生涯を描くのにかなり苦労をしたようで、ギリシャ神話や寓話を盛り込みながら、大作に仕上げます。

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カテリーナ・デイ・メディチと違い、政治的手腕を持ち合わせなかったマリアですが、唯一「イタリア女」と呼ばれフランス国民からは毛嫌いされていたという点は同じだった様です。マリアとアンリ4世の間には6人の子供が生まれます。
そして、結婚から10年後の1610年5月15日、フランス国王アンリ4世は、急進派のカソリック教徒によって暗殺されてしまいます。
こうして、マリアは当時9歳であった息子のルイ13世の摂政として、実質的にフランスの政権を握ります。マリアはフィレンツェから連れて来たイタリア人の相談役に政治を任せ、自らの浪費癖のために国の財政を利用します。こうした振る舞いにより彼女は、フランス国民からのみならず、息子ルイ13世からも反感を買います。

1617年、ルイ13世(当時16歳)は、母親であるマリアをブロア城に幽閉し、イタリア人相談役達は、逮捕、暗殺されます。2年後にマリアはブロア城を脱出し、一度はルイ13世と和解をします。


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この様子はルーベンスの連作で、「ブロア城を脱出するマリア」(画像左)や「ルイ13世と和解するマリア」(画像右)として描かれています。実際は、ブロア城を脱出する際に、マリアの体重に耐えられず、ロープが切れそうになり、危うく落下する所だったという話も残っています。ルーベンスに絵を描かせるということは、この頃までは、まだお金があったんですねえ。


その後、マリアは再びクーデターを企て、1631年にとうとう、フランスを追放されてしまいます。
ルイ13世は、フィレンツェに戻るのであれば、経済的な支援を行うという条件を提示しますが、マリアはこの申し出を断ります(今更、フィレンツェには帰りたくなかったのでしょうね)。その後、経済的にかなり貧窮したマリアはブリュッセルへ亡命し、その後ケルンに移ります。伝説では、王妃時代に自らのお付きの画家であったルーベンスのアトリエに身を寄せ、1642年にそこでひっそりと亡くなったそうです。

人生色々ですね・・・。

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# by lacasamia3 | 2008-09-07 20:24 | フィレンツェ小話 | Comments(2)

私がホッとする時間

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ここ数日、かなり忙しかったです(涙)。
何だか、プーリアから帰ってきて、のんびりしていたら、段々忙しくなってきて、ちょっとバタバタしていました。ユキちゃんの学校が始まるのが再来週の月曜日なので、あと10日弱の辛抱です。普段ユキちゃんは、私がみていて、仕事にも連れ歩いているのですが、どうしてもユキちゃんを連れて行けない仕事の時には、アントネッロと交替です。

今日は午前中の仕事を終え、午後と明日の日曜日はお休み。

は~、疲れた~って帰ってきても、10分でもいいから畑に降りると元気がじわじわと回復してきます。ぼーっとしながら畑の水遣りをし、苗の根元の土をスコップでほぐしてあげると、何だか気持ちが落ち着いて、癒されます。

山に沈んでいく夕陽を見つめながら、ふと、家の方を振り返ると、晩ご飯を作っているアントネッロが見えます。


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私がホッとする時間です。

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# by lacasamia3 | 2008-09-07 02:02 | トスカーナ山暮らし | Comments(25)

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by chiho