さて、私たちはラヴェンナからボローニャに移動しました。今回はラヴェンナでちょっと食事にゆっくり時間をかけてしまったのですが、サッと食べてボローニャに移動するのであれば、ボローニャもたっぷり観光が出来ますよ。
ラヴェンナボローニャ間はローカル列車で1時間です。

ボローニャの駅に着いたら、先にフィレンツェ行きの列車のチケット(急行列車で片道18.10ユーロ)を予約しておくことをオススメします。ボローニャーフィレンツェ間は座席指定の列車が殆どで、結構ビジネス利用客が多いんです。
無駄なく疲れずに観光するなら、駅から直接タクシーで、Piazza Maggiore(ピアッツァ・マッジョーレ)に向かいましょう。タクシーだと5分ほど、歩きだと20分位だと思います。まだまだ元気がある人は、駅からマッジョーレ広場に続くアーケードを、ウィンドーショッピングを楽しみながら歩くのも良いでしょう。


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マッジョーレ広場には、街の中心の教会、サン・ペトローニオ教会がそびえ立っています。広い内部の床には、入り口の中央正面から長いメジャーのようなものがあり、ところどころに数字や星座が記載されています。これは、1695年に作られたメリディアーナと呼ばれる日時計です。正面扉の内側から、祭壇に向かってやや左上の天井を見上げると、小さな穴が見えます。ここから一定の時間に差し込む日の光が、床に記されたカレンダーを示すそうです。


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正面のファサード上部は未完ですが、未完の部分も良く見ると微妙に模様がついています。更によく見ると、実は、ずらしたレンガの角を利用してギザギザ模様をつけているんですね。昔の人って凄いなあ・・・。


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マッジョーレ広場に面した市庁舎(コムナーレ宮)には、ローマ教皇グレゴリウス13世の像がドーンと掲げられています。ボローニャは1507年以降、長い間、ローマ教皇庁の支配下に置かれます。フィレンツェだとヴェッキオ宮殿に匹敵する、ボローニャの市政の中心である建物に、こうしてローマ教皇の像を掲げるということはとても意味深い事だったんでしょうね。

写真右は、フィレンツェから呼ばれた彫刻家ジャンボローニャ作のネプチューンの噴水です。
ジャンボローニャが苦心して噴水のプロジェクトを考えていた時、この噴水の仮の土台の周りを2周して、その後プロジェクトが成功したというエピソードから、今も、試験の前に、この噴水の周りを、逆時計回りで2周すると運が付くと言われているそうです。そんなことしないで、勉強した方が早そうですね(苦笑)。


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この噴水の土台には何故かメディチ家の紋章が掲げられていました。気になって調べてみると・・・

もともと、ローマ教皇は代々、それぞれの紋章を持っていました。共通しているのは、上についた帽子と鍵の組み合わせ。そして下の部分は時代や人物により少しずつ変わります。←のようなメディチ家の紋章(6個の玉)を付けた紋章を持つローマ教皇は、メディチ家出身であったレオ十世とクレメンス7世です。

ネプチューンの噴水を作らせたのは、ローマ教皇ピウス4世。
ロンバルディア州の出身のこの教皇は、もとの苗字にメディチという名前が付いていました。ただ単に、苗字が偶然同じだっただけなのですが、本人は「自分はメディチ家の血をひいている」と主張します。フィレンツェのメディチ家側は、それを完全に否定するのですが、彼がピウス4世としてローマ教皇に即位したため、見て見ぬ振りをするのでした(笑)。

というわけで、一応、ピウス4世の紋章にも、メディチ家の紋章が盛り込まれているのです。


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今回は駆け足観光でしたが、とにかく街歩きが楽しいボローニャ。塔が沢山あり、街はこうしたポルティコと呼ばれるアーケードがあちこちに走っています。雨が降っても濡れずに観光できるから便利ですよね。


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ちょっと斜めってしまいましたが(笑)、本当にボローニャは素敵な街です。

美食の街でもあるボローニャ。お昼目的で行くなら、フィレンツェから日帰りで訪れ、ボローニャだけを1日で周るのも良いと思いますよ。日曜日の朝は、お店が閉まっていてちょっと寂しいかもしれませんが、お店が開いている日は、本当に賑やかで楽しい街。

フィレンツェからボローニャは、列車で1時間弱ですよ。

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# by lacasamia3 | 2009-09-16 18:09 | フィレンツェから日帰りで行く町 | Comments(5)
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さて、サン・ビターレ聖堂から徒歩10分ほどの場所に、ネオニアーノ洗礼堂(入場券はサンビターレ聖堂と共通券です)があります。伝説ではローマ浴場の上に作られたと言われている洗礼堂。
真ん中には大きな浴槽があります。現在、イタリアの教会の洗礼式では、チョチョッと子供の頭を水で濡らす程度ですが、昔はジャボンと水槽に浸けていたそうです(汗)。ダンテの神曲でも、フィレンツェの洗礼堂で危うく溺れかけた子供をダンテが救い出すエピソードがあります。

この浴槽の上には、素晴らしいキリストの洗礼図がモザイクで描かれています。


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洗礼を受けながら、上を見上げると、キリストも洗礼を受けているという、何ともバーチャルな体験をすることが出来たんでしょうねえ。


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ラヴェンナには、もうひとつアリアーニ洗礼堂という洗礼堂があるのですが、洗礼図の完成度や大きさという面では、このネオニアーノ洗礼堂のモザイク画の方が優っています。


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キリストの頭部のみ、後世修復がされたので手が入っているのですが、体の表現などはオリジナルです。400年代後半のこの当時、まだ裸体表現がしっかりと行われていたんですよね。この後、蛮族の侵略により、こうした芸術表現やテクニックは失われてしまい、その復活のためには1300年代のジョットーを待つこととなります。

そして面白いのは、植物を抱えてキリストに緑色の布を差し出している右側の人物。擬人化したヨルダン川だそうです。こうした表現は、キリスト教のものではなく、それよりももっと古いローマ時代の表現です。まだ、キリストの死後500年しか経っていないために、まだ、こういったことが統一されておらず、こうした古代の異教とキリスト教がごっちゃになっていたんでしょうね。


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もうとにかく壁の上面は隙間なくびっしりとモザイクの装飾が施されていました。波打つリボンや果物の立体感などがモザイクでよく表現されています。

ラヴェンナのオススメの周り方としては、
まず駅に着いたら、先にラヴェンナからボローニャ行きの列車の時間を調べておきましょう。
タクシーで駅前からサンヴィターレ聖堂へ行きましょう。歩いても20分ほどの距離ですが無駄なく動くために、今回はタクシーで移動しました。
教会ではサンヴィターレ教会+ガッラ・プラキディア廟堂、ネオニアーノ洗礼堂、そして今回時間がなくて行けなかったサン・アポリナーレ・ヌオーヴァ教会の共通券になっていて、地図も一緒にくれます。

国立博物館や、テオドリック廟などを加えて、じっくり見れば午後までかかりますが、朝のローカル直通電車(約2時間半、片道あたり8ユーロ)でフィレンツェから10時30頃にラヴェンナについたら、大体、1時頃には主要な見所は見終わります。この後、サッと食事をしてボローニャに移動し、ボローニャも観光してしまうのがオススメですよ。

じっくり見たい人は、ラヴェンナでゆっくり食事をして、隅々まで周って、フィレンツェ行きの直通電車で帰るのも良いでしょう。

楽しいけれどかなり疲れるので、翌日の予定はゆっくりモードをオススメします。

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# by lacasamia3 | 2009-09-14 21:20 | フィレンツェから日帰りで行く町 | Comments(7)

ヤマネコニナリタイ

ラヴェンナ話の途中ですが、夏の宿題がやっと終わったので(やれやれ)、ひとまずご報告!
夏休みの2日前にやっと宿題を終わらせたユキちゃん。いままで、こうして長い時間をかけてコツコツ何かを完成させると言う経験をしたことがなかったから、本人はちょっと達成感を感じているようです。「マンマ、外に遊びに行っていい?夏休みの宿題はもう全部終わったしさ」、「マンマ、レゴで遊んでいい?夏休みの宿題はもう全部終わったしさ」、と言葉の端々に、「宿題が終わった」と付け加えます(苦笑)。


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とにかくイタリアの小学1年生の宿題は、お絵かきや遊びが沢山。国語の宿題も、文章を書かせながら、必ず横にはお絵かきの欄があります。

Che cosa vorresti essere ?
「何になりたいですか?」という質問に対して、絵と文章で答えるという問題がありました。
で、ユキちゃんの回答は・・・



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Vorrei essere una lince per arrampicarmi.
「山猫になって木登りがしたいです」

山猫。
ユキちゃんなんか渋い動物を選んだねえ。そういえば最近「猫百科」を熱心に読んでましたっけ。
ユキちゃんが描いた山猫は・・・


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何だか耳がとがっているところが山猫風です。木の枝の上で嬉しそうなユキちゃん猫。

イタリアでは殆どの小学校が明日からスタートです。
今年からユキちゃんは2年生。ユキちゃん、これからの1年間を楽しく頑張って下さい。

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# by lacasamia3 | 2009-09-14 00:47 | イタリア子育て~小学校編 | Comments(17)
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さて、サンヴィターレ聖堂を出て、順路に沿って進むと、敷地内には、ガッラ・プラキディア廟堂があります。写真の通り、シンプルなお堂です。

でも、中に入ると・・・


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ジャン!隙間なく全て装飾が施されています。

この霊廟は、サンヴィターレ聖堂よりも100年ほど早く建造されます。ガッラ・プラキディアは、ローマ帝国が東西2つに分かれる直前の、最後のローマ皇帝テオドシウスの娘でした。彼女が、自らと自分の家族の霊廟として作らせたのがこの建物です。実際には彼女はローマで亡くなった為、中にある石棺は、プラキディアに縁のある家族のものだと言われています。


静かな霊廟と家族の肖像~ラヴェンナ_f0106597_1953658.jpg



十字型の内部は、天井や回りの壁に美しいモザイクの装飾が施されています。
入って正面の聖人は、聖ロレンツォ。火あぶりにされて殉教したことから、バーベキュー用のグリル板のようなもの(汗)を持って指差しています。

入り口の上には、↑この美しい「よき羊飼い」と呼ばれるモザイク画があります。羊のモコモコ加減を固い石のかけらで一生懸命表現しようとした感じが良く表れています。

ガッラ・プラキディアは本当に波乱万丈な人生を送った女性なんですよ。

事実上、ローマ帝国が滅亡する間際、410年に西ゴート族(スウェーデンから南下してきたゲルマン民族の一派)によりローマ略奪が行われます。そして、ローマ皇帝の皇女であったプラキディアは人質として、西ゴート国王アラリックの捕虜となり、イタリア中を連れまわされ、その果てには、アラリックの弟アタウフルと結婚させられます。
ところが、夫アタウルフは自分が殺害した身内のゴート人の部下に襲われ、重症を負い、死去する前に、妻プアキディアをローマ人のもとに戻らせるように命じます。

当時の西ローマ帝国の首都は、ラヴェンナへ移っていたため、彼女は、西ローマ帝国の皇帝、兄のホノリスがいるラヴェンナへ向かいます。ところが兄のもとに戻ったプラキディアは強制的に将軍コンスタンティウス(後のコンスタンティウス3世)と結婚をさせられてしまいます(涙)。この結婚で二人の子供が生まれます。

コンスタンティウス3世として皇帝となった夫がすぐに死去すると、兄のホノリウス自身が求婚者となってしまいます。この結婚を避けるために、プラキディアは子供と共に、甥がローマ帝国の皇帝として治めるコンスタンティノープルへと逃げてしまいます。

ラヴェンナで兄ホノリウスが亡くなると、424年にプラキディアは息子をヴァレンティニアヌス3世としてラヴェンナの西ローマ帝国の皇帝に仕立て上げます。
その後、彼女は450年にローマで亡くなったと言われています。


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これは、現在ブレッシャのキリスト教市立博物館に保存されている、十字架です。中央に描かれている3人が、プラキディア(中央)、息子のヴァレンティニアヌス3世(左)、娘のホノリア(右)です。


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長女ホノリア(右)もまた、波乱万丈な姫なのです。
何故か、弟のヴァレンティニアヌス3世により長い間、誰とも結婚することを禁止させられます。そして449年、彼女が32歳の時に、衛兵の一人、エウジェーニオと恋に落ちます。残念ながらエウジェーニオはヴァレンティニアヌス3世により処刑され、ホノリアは、元老院議員との新たな縁談のために、コンスタンティノープルに送られそうになります。

ここで彼女は、ローマ帝国の宿敵であるフン族のアッティラ王へ、「何とかして自分をラヴェンナから救出して欲しい」という手紙を自分の指輪と共に送ります(宿敵に助けを求めるなんて思い切った行動ですよね)。

ホノリアがアッティラ王に手紙を送ったことを知ったコンスタンチノープルの皇帝テオドシウスは激怒し、彼女をフン族へと引き渡すように命令します。ところが、ラヴェンナの皇帝ヴァレンティニアヌスは、姉のホノリアへ恩赦として、その命令には従わず、自分の部下と結婚をさせます。

こうしてホノリアは何とか平穏な後世を送るのですが、アッティラ王は彼女から届いた手紙は「合法的な要請だ」とし、451年からの2年間、北イタリアを中心に壮絶な略奪を行うのでした。

中世の時代、姫君も色々と大変なんですねえ・・・

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# by lacasamia3 | 2009-09-12 20:54 | フィレンツェから日帰りで行く町 | Comments(16)

フィレンツェで山暮らしをするchihoの田舎便りです。フィレンツェの街歩き情報、イタリア風家庭菜園、お勧めレストラン現地情報、日帰りで行ける街の情報など。フィレンツェの滞在型アパートの紹介サイト「ラ・カーサ・ミーア」を運営しています。


by chiho