ご存知の通り、フィレンツェのメディチ家は、1600年代後半の最後の代の3人兄弟に子供が生まれず、跡継ぎがいないということで、1743年にメディチ家最後の人物アンナ・マリア・ルイーザの死をもって、途絶えてしまいます。親戚同士で結婚をしすぎてしまったことによる医学的な結果と私も思っていたのですが、メディチ家の歴代の当主をそれぞれ観察してみると、フェルディナンド2世(アンナ・マリア・ルイーザの祖父)の代からガタッとモラルのようなものが崩れてしまうのが感じられます。
それまでも、自由恋愛は存在せず、政略結婚なのですが、それなりにお互いに共通点を見出し、夫婦としての信頼関係を築き上げます。ところが、1600年代以降、政治的、経済的な目的での政略結婚が結ばれた時に、それぞれ新郎側、新婦側の両方に、被害者的な意識が生まれ(←それはそれでもっともなんですけれどね)、跡継ぎのために子供を作るものの、お互いに好き勝手なことをやっている・・・みたいな。そうした価値観の変化のようなものがメディチ家の滅亡につながっていったのかも知れません。
子育てって大事だなあとメディチ家の当主たちを見ながらつくづく思いました(笑)。

←これは、フェルディナンド2世とヴィットーリア・デッレ・ローヴェレの肖像画です。
ウンブリア公国の継承権を狙った「嫁姑の企み」で結婚をさせられた二人です。覚えていますか?結局、嫁姑の企みは見事に失敗してしまうわけですが・・・。
幼少の頃から修道院に入れられ、ひたすら「トスカーナ大公夫人」になるために育てられたヴィットーリア
しきたりばかりを重んじ、対立しあう母親と祖母からの教育を受け、逆に放蕩息子として育つフェルディナンド
全く共通点がないこの二人は、結婚してからもお互いに共通点を見出せないまま、1642年にコジモ(後のコジモ3世)と、1660年にフランチェスコ・マリアの二人の子供をもうけます。
長男がうまれてから次男が生まれるまで、20年近い長い空白の期間があるのですが、これには、どうやらフェルディナンド2世の愛人問題が絡んでいるそうです。
大げさな程に敬虔深い母親や妻とは正反対に、率直で自由奔放な性格のフェルディナンド2世は、フィレンツェの一般市民からは人気がありました。そして、ブルート・デッラ・モレーナ(♂)という小姓がトスカーナ大公フェルディナンド2世の愛人であったことがかなりオープンに知られていたそうです。
ある時、宮廷の中で同性愛が支持され始めたことについて、母親マリア・マッダレーナが「厳しい処罰を受けるべきだ」と言及した所、フェルディナンド2世は、「最初にその処罰を受けるべきなのは自分だ」と答えたそうです(よくよく考えると、この人、母親に面と向かってカミングアウトしているんですよね・汗。それもまた凄いかも)。
そして、ある日、フェルディナンド2世がブルートと浮気をしている現場を、妻ヴィットーリアが目撃してしまうのでした(汗)。それ以来、フェルディナンド2世はヴィットーリアの寝室に立ち入り禁止となってしまいます。(20年間立ち入り禁止だったんでかねえ・汗)
興味深いのは、現在の歴史の本を読んでも、同性愛のことを"vizio"(悪癖)とすること。そして、2000年に生きている私にとってはその表現に違和感を感じること。歴史の本って、それぞれ書かれた時代の価値観を反映する場面が多々ありますが、20世紀の歴史の本と、21世紀の私の価値観がまた違うのかな?と思ったりしました。
個人的には、13歳の子供を政略結婚に巻き込むことのほうが、よっぽど不健全だと思うのですが(笑)。かと言って、果たしてフェルディナンド2世の愛人ブルートが成人していたかどうかと言うのは判らないのですが・・・。まあ、健全か、不健全かなんてかなり主観的な判断基準ですね。
さて、↑こんな二人に育てられた長男コジモ3世はどんな人だったかというと・・・
また次回をお楽しみに♪
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それまでも、自由恋愛は存在せず、政略結婚なのですが、それなりにお互いに共通点を見出し、夫婦としての信頼関係を築き上げます。ところが、1600年代以降、政治的、経済的な目的での政略結婚が結ばれた時に、それぞれ新郎側、新婦側の両方に、被害者的な意識が生まれ(←それはそれでもっともなんですけれどね)、跡継ぎのために子供を作るものの、お互いに好き勝手なことをやっている・・・みたいな。そうした価値観の変化のようなものがメディチ家の滅亡につながっていったのかも知れません。
子育てって大事だなあとメディチ家の当主たちを見ながらつくづく思いました(笑)。

←これは、フェルディナンド2世とヴィットーリア・デッレ・ローヴェレの肖像画です。
ウンブリア公国の継承権を狙った「嫁姑の企み」で結婚をさせられた二人です。覚えていますか?結局、嫁姑の企みは見事に失敗してしまうわけですが・・・。
幼少の頃から修道院に入れられ、ひたすら「トスカーナ大公夫人」になるために育てられたヴィットーリア
しきたりばかりを重んじ、対立しあう母親と祖母からの教育を受け、逆に放蕩息子として育つフェルディナンド
全く共通点がないこの二人は、結婚してからもお互いに共通点を見出せないまま、1642年にコジモ(後のコジモ3世)と、1660年にフランチェスコ・マリアの二人の子供をもうけます。
長男がうまれてから次男が生まれるまで、20年近い長い空白の期間があるのですが、これには、どうやらフェルディナンド2世の愛人問題が絡んでいるそうです。
大げさな程に敬虔深い母親や妻とは正反対に、率直で自由奔放な性格のフェルディナンド2世は、フィレンツェの一般市民からは人気がありました。そして、ブルート・デッラ・モレーナ(♂)という小姓がトスカーナ大公フェルディナンド2世の愛人であったことがかなりオープンに知られていたそうです。
ある時、宮廷の中で同性愛が支持され始めたことについて、母親マリア・マッダレーナが「厳しい処罰を受けるべきだ」と言及した所、フェルディナンド2世は、「最初にその処罰を受けるべきなのは自分だ」と答えたそうです(よくよく考えると、この人、母親に面と向かってカミングアウトしているんですよね・汗。それもまた凄いかも)。
そして、ある日、フェルディナンド2世がブルートと浮気をしている現場を、妻ヴィットーリアが目撃してしまうのでした(汗)。それ以来、フェルディナンド2世はヴィットーリアの寝室に立ち入り禁止となってしまいます。(20年間立ち入り禁止だったんでかねえ・汗)
興味深いのは、現在の歴史の本を読んでも、同性愛のことを"vizio"(悪癖)とすること。そして、2000年に生きている私にとってはその表現に違和感を感じること。歴史の本って、それぞれ書かれた時代の価値観を反映する場面が多々ありますが、20世紀の歴史の本と、21世紀の私の価値観がまた違うのかな?と思ったりしました。
個人的には、13歳の子供を政略結婚に巻き込むことのほうが、よっぽど不健全だと思うのですが(笑)。かと言って、果たしてフェルディナンド2世の愛人ブルートが成人していたかどうかと言うのは判らないのですが・・・。まあ、健全か、不健全かなんてかなり主観的な判断基準ですね。
さて、↑こんな二人に育てられた長男コジモ3世はどんな人だったかというと・・・
また次回をお楽しみに♪
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やはり、人間って人の思惑通りにはなりませんよね。
それに、生まれながらにして大きなものを背負わされてしまうのも
有る意味気の毒な事なのかもしれませんね。
小さな幸せを感じつつ、それを積み重ねていける事に幸せを感じ
子供達へも、幸せは自分達で作れる事を伝えて行きたいですね。
いろんな幸せ、どんなユニークな発想が飛び出すか、楽しみにしつつ・・・・。
それに、生まれながらにして大きなものを背負わされてしまうのも
有る意味気の毒な事なのかもしれませんね。
小さな幸せを感じつつ、それを積み重ねていける事に幸せを感じ
子供達へも、幸せは自分達で作れる事を伝えて行きたいですね。
いろんな幸せ、どんなユニークな発想が飛び出すか、楽しみにしつつ・・・・。
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一族の繁栄のための政略結婚が、結局は、家族の心の絆という
大切なものを弱体化させていったというのは、彼らにとって、
皮肉なことですね。chihoさんの深い洞察力に感服です!
家庭などが、心を解放して、素のままの、自分らしくいられる場である
ことはほんとに大切なんだなぁとしみじみ感じました♪
大切なものを弱体化させていったというのは、彼らにとって、
皮肉なことですね。chihoさんの深い洞察力に感服です!
家庭などが、心を解放して、素のままの、自分らしくいられる場である
ことはほんとに大切なんだなぁとしみじみ感じました♪

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
minaさん>メディチ家の最盛期、ロレンツォ豪華王の時代は、政略結婚とはいえ、女性陣がかなりしっかりした人物ぞろいで、子育てもしっかりしていたようです。基本が大事なんだろうなあ。
solaritaさん>当時は、より高い位の貴族との繋がりを探求すればするほど、人間性という面では堕落してしまうという傾向があったようです。
鍵コメsさん>そうなんですね。私はmちゃんとユキちゃんを妊娠していた頃からのお付き合いです。前に住んでいた家が近所同士だったんですよ。リンク有難うございます~。これからもどうぞ宜しくお願いします♪
初めまして。私は1996年~1998年までフィレンツェに留学していました。母校がオルトラルノでしたから、Via Maggioに長く住んでいました。あなたの解説を読んでとても懐かしさに胸いっぱいです
起緒さん>Via Maggioにはフランチェスコ1世の愛人だったビアンカ・カペッロの館が残っていますよね。うんうん、私もフィレンツェの留学を終えて一旦日本に帰ったとき、フィレンツェの街角をテレビや雑誌で見るたびに懐かしい気持ちになったことを思い出します。またいつかいらしてくださいね。
ランキングから来ました。ブログ自体に雰囲気があり、一瞬でファンになってしまいました。これからちょくちょく遊びに来ます。