食事の後は、おみやげ物屋さんを冷やかしながら、オートラントのカテドラルを訪れました。
プーリアの観光地では大概似たようなものが売られていますが、それでも毎年、微妙な(笑)新製品が売られていたりして、新しい発見があります。
良い子でお留守番が出来たユキちゃんへのお土産は、プーリア方言のフレーズをプリントしたTシャツにも惹かれたのですが、結局、パレオ兼スカーフにすることにしました。
個人的に気になったのがコレ。↑モッラレッラの水きり皿と、フリーザと呼ばれるプーリア名物の固いパンをジャボンと水に浸ける用のお皿です。
カテドラルは午後の15時から開きます。
見所は、床のモザイク。1163年から66年の間に製作されたこのモザイクは、「生命の木」を表しています。下の部分は2頭の像が支え、ニョキっと中央の祭壇に向かって伸びる幹を中心にして、左右に様々な旧約聖書のエピソード(楽園追放やノアの箱舟、バベルの塔)、星座のシンボル、不思議な空想上の動物達が描かれています。
オートラントは、ローマ教会とコンスタンティノープルの東方教会の需要な交流地点であったから、モザイクという表現方法が一般的だったんでしょうね。
余談ですが、象を描写するのが上手なプーリア人(笑)。もしかして象を引き連れてイタリアを行軍したハンニバルが長く駐留したことも影響しているのかな?時代的に叉全然違うのですが・・・
アマゾン(女性兵士)が鹿を射抜く場面。
頭を中心にして上下左右4つの体を持つライオンや、上半身が犬で、下半身が魚の動物、人魚など・・・時間が経つのも忘れて見入ってしまいます。
今から900年以上前に製作されたのにも関わらず、今も心を打つモザイク装飾です。
実はこのカテドラルにはもう一つ見所があります。それが、教会の右手奥にある"Capella dei Martiri"(カペッラ・デイ・マルティリ=殉教者のチャペル)です。
1480年、15日間続いた戦いの中で22000人のオートラント人が亡くなり、生き残った800人が囚われます。サラセン人はこの800人を、街の外側にあったサラセン軍陣営に連れて行きます。イスラム教徒に改宗するか、斬首されるか、という選択を一人ずつ行わせたところ、結局オートラント人800人は全員改宗を拒み、斬首されてしまいます。
この800人のうち、200人はアラゴン軍の兵士であったので、その後遺骨はナポリへと送られるのですが、残りの600人分の遺骨は、18世紀にこのチャペルへと移動され、ガラスの棚に展示されます(18世紀のこうした趣味はかなり凄いものがあります・汗)。
私は写真を撮りませんでしたが、興味のある方は↓から見てください。
カペッラ・デイ・マルティリ
マドンナの像の下には斬首に使われた岩が保管されていて、裏側に周ると見ることができます。
さて、私たちはこの後、オートラントを後にし、車で1時間ほどの場所にあるガッリーポリに移動しました。
人気blogランキングへ
気に入っていただけたら↑をポチッとクリックしてください♪
はじめまして
床一面のモザイク、とても素敵です。絵柄がおおらかで大胆。やはりお国柄でしょうか。保存状態のよいことにも驚きました。
床一面のモザイク、とても素敵です。絵柄がおおらかで大胆。やはりお国柄でしょうか。保存状態のよいことにも驚きました。
0
Commented
at 2008-08-18 20:23
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
lacasamia3 at 2008-08-21 00:51
Missaさん>こんにちは。私もこのおおらかな画風のモザイクが大好きです。ホント、良く残っていますよね。写真はイマイチですが、実物はもっとカラフルなんですよ。
Commented
by
lacasamia3 at 2008-08-21 00:51
鍵コメnさん>もう涼しくなったんですか?トスカーナは帰ってきたら朝晩は大分涼しくなったものの昼間はかなり暑いです。