
最近、夕食後にお皿を洗いながらnetflixで「舞子さんのまかないさん」を見てます。元々、漫画で読んでたんだけど、ドラマも面白いですね。実はこれ、イタリアでも日本びいきの人の間で結構人気で、この前、救急で一緒になった日本通の看護師に「面白いよー」って勧められたんです。イタリアのnetflixでは、ちゃんとイタリア語の字幕がふられているんですよ。「まかない」は訳さずに敢えて「makanai」ってそのままの言葉にしてる。舞子さんになるつもりが、まかないさんになって、でもお料理がとっても上手で、作る料理で人を幸せにできる女の子の話。この子が握るおにぎりがとっても美味しそうで、料理というのはレシピとか材料だけじゃなくて、何かその人の手を通じて内面みたいなものが出てくるのかも知れません。
お料理といえば、ある事を思い出しました。
実は去年、3か月ほど、殆ど目が見えなくなっていた高齢のシニョーラのお手伝いを週3回、午後だけしていたことがありました。彼女は友人のお母さんで、ただ単に、一緒に本を読んだり、物を取ってあげたり、夕食を作るのを手伝ってあげたりしていたのです。アレッサンドロ・マンゾーニのI Promessi Sposi(『いいなづけ』)を音読している時、全て暗記していて、間違えたら訂正されてました(笑)。
イタリア人のお年寄りで、健康に何らかの障害を持っている人は、大概、食生活はとってもシンプル。茹でたお米にすりおろしチーズをかけたり、ブロードにスープパスタを浮かせたり、そんなものばかりを食べていたけど、たまに気が乗ると、私が焼いたフリッタータを食べてくれたりしました。体調が悪くて何も食べたくない時は、柔らかいパンにフィラデルフィアチーズを塗って、四角く小さく切って、その上にこれまた小さくちぎった生ハムをのせたり。
彼女から初めて、老人食のお米の茹で方を教わりました。「chiho!お鍋は大きすぎず、小さすぎず!」「水の量はほどほどに」。そして何より目から鱗だったのが、彼女曰く「料理に使う塩はsale grosso (岩塩)」である事。
お米を茹でる時、最初に「こうするの」と彼女がパラパラ岩塩を振り、茹だったお米を味見したら、普通のお塩(sale fine)で味付けするのとちょっと違うんです。なんとも言葉にはできないけれど。確かに岩塩で味付けした方が美味しい。
彼女は重い病気を患っていたけれど、最期まで自宅で過ごし、トイレも自分で行って、大勢の家族に見守られながら、空の向こうへと旅立って行きました。
彼女が伝えてくれたシンプルな「茹でたお米」は、お粥とはちょっと違うけど、たまに食べたくなって家でも一人の時に作ります。
その時の味付けは、岩塩で。