
7月にピサに行った時、訪れたカンポサント。その時のご報告&感想がまだだったので、今更ですが・・・。
いやー、久しぶりに訪れたカンポサントは非常に素晴らしかったです。私にとっては、ダントツ、ピサでのメインかも。

1203年の第四回十字軍遠征の際に、ピサ人が聖地エルサレムのゴルゴダの丘の土を船でここまで運ばせ、その上に建築した納骨堂と言われています。
それを聞いただけでも、ググッとテンションが上がるような伝説。

そして、ここには素晴らしいフレスコ画が残っています。
Buonamico di Martino (通称ブッファルマッコ)作 「死の凱旋」 1336-1341年

1400年代初頭フィレンツェに花咲いた文芸復興ばかりがもてはやされ、それ以前の芸術文化を「中世」という、何か暗く暗黒の世界のようにひとくくりにしてしまいがちですが、実は優雅でとても美しい世界でもあったのだと思います。

実際には、「メメント・モリ」(死を想え)、キリストの教えに従わず、現世の欲に溺れる者は、永遠の死をこうむるであろうというメッセージを持つ宗教画です。
そうしたメッセージとは少し離れて、でも彼が生き生きと描いた当時の人々の表情は(死者の表情までも)、今も私たちを惹きつけます。

場面設定としては、狩りに出掛けた貴婦人、貴族が、偶然、死人の亡骸を見つけてしまうというもの。
3つの棺おけのなかの亡骸は、3段階の腐敗過程が描かれています。

描かれている人物は、当時のピサの貴族たちで、この出来事の舞台となったオレンジ畑もまた、当時ピサに存在していた可能性があるのだそうです。
このような絵を見ると、なんとなくイタリアでの1300年代半ばのペストの流行と関連付けたくなりますが、実際には、ブッファルマッコは1347年のペスト流行の前に亡くなっています。

ワンコがクンクンしているのが可笑しい(笑)。まるでラーラみたい。

こちらは第二次大戦中のカンポサント。連合軍の爆撃により、鉛製の天井が火事で焼け、完全に落ちてしまったのだそうです。フレスコ画も大部分が損傷し失われてしまいます。

写真のこの男性、当時のこの瞬間、何を思っていたのでしょうか。もしかすると、彼がこうして何とかフレスコ画を救出しようとしている間にも、爆撃があったのかもしれません。

そして、今のカンポサント。

戦後、イタリア各地で、戦争により破壊されてしまった建造物を全く元通りに復元する工事が急ピッチで行われます。資材だって、重機だって乏しかったと思うのに・・・。人間って素晴らしい。

光と影

カンポサント
3月 9時ー18時
4、5,6,7,8,9月 8時ー20時
10月 9時ー19時
11、12、1、2月 10時ー17時
オススメです。
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千穂さん! 人気ブログランキングのクリックが無いですよ~ォ! 今回の書込はアントネッロファミリー(ラーラを含む)のストーリーと同様にとても素晴らしい! また、この類を書いて下さい。
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いつもながら、残すことの大切さ、残す作業の大変さを感じるなあ。ピサにも斜塔だけでなくいいところがあるのですね。
イタリアゆっくり行きたいが、結構忙しくて。
イタリアゆっくり行きたいが、結構忙しくて。
chihoさんの、こういう記事、大好きです。
byくろべ〜
byくろべ〜
^^ 行きたいな~
chihoさん、こんにちは^^
これは圧巻ですね!
chihoさんのピサの記事を読んでいて、俄然興味が湧いてきました。
このカンポサントは是非じっくりと見てみたいなぁ~
イタリアの修復の技術や人々の想いは本当に素晴らしいと思わずにはいられませんね。
これは圧巻ですね!
chihoさんのピサの記事を読んでいて、俄然興味が湧いてきました。
このカンポサントは是非じっくりと見てみたいなぁ~
イタリアの修復の技術や人々の想いは本当に素晴らしいと思わずにはいられませんね。

待ってました♪ピサ話の続き。芝生とのコントラストも美しいカンポサントの歴史と共に、建物内部の冷んやりとした空気が伝わってくるようです。千穂さんのこういう視点、感性も大好きです! 心に響きます。