
フィレンツェ話は最近、フェイスブックの方に書いていますが、久しぶりにブログでも♪
最近、マキャヴェッリの本を読んでいるので、彼が活躍した時代1498年から1527年までのフィレンツェがちょっと気になる今日この頃。
1492年ロレンツォ豪華王の死、1494年メディチ家追放、フランス王シャルル8世の脅威とイタリア侵攻、ジローラモ・サヴォナローラの神権政治、と、気持ちは1400年代末期の混沌としたフィレンツェにタイムスリップします。
先日、仕事の合間に通りがかったシニョリーア広場でも、気になるのは・・・

↑ココ。

メディチ家が追放される1つの要因となった(それだけではないのですが)ドメニコ会修道士のジローラモ・サヴォナローラが、その後、ローマ法王により破門され、異端者として火刑にかけられた場所です。
周りのツーリストは、ダヴィデのレプリカを撮るのに夢中で、余り気にかけていないけれど、私が写真を撮っていたら、なにやら皆さんも写真を撮り始めました(笑)。
長い歴史の記憶が、この広場のあちこちに残っています。
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この広場にこんな場所があったなんて全然知りませんでした。お恥ずかしながら、私もダビデ像のレプリカを見たり、イケメンの警察官に目を奪われたりしてました(>_<)ゞ
メディチ家の栄華にばかり注目していましたが、終わりがあったからこそ今のフィレンツェがあるのですよね。そういえば、刑務所や処刑の絵画もウフィッツィ美術館など、すぐ近くで見たのを思い出しました。
本当に勉強になります!
メディチ家の栄華にばかり注目していましたが、終わりがあったからこそ今のフィレンツェがあるのですよね。そういえば、刑務所や処刑の絵画もウフィッツィ美術館など、すぐ近くで見たのを思い出しました。
本当に勉強になります!
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僕は96年の最初の訪問の際に写真を撮りました。4回目はデジカメで。しかし、サヴォナローラのやったことを考えると若干疑問はあるが、当時の教会の腐敗を考えるとおおいにありか?
シニョーリア広場、懐かしいです。大昔イタリア旅行した時、この広場を見渡すカフェに陣取りビールを一杯やって大満足した思い出がありますが、そのような場所があるとは全然知りませんでした。フィレンツェの激動の歴史を、せめてメディチ家の歴史だけでももっと知らないと勿体無いなぁと思いました。今、惣領冬実の漫画「チェ-ザレ」(ご存知でしょうか、、絵が綺麗でうまいです)第8巻まで読んだところです。壮大な歴史の把握が難しいですが今の所まだメディチ家は追放されてないです。
次回フィレンツェに行くのが楽しみです。
次回フィレンツェに行くのが楽しみです。
歴史を知ると、普段の街歩きが一層深みをまし、意味あるものになりますよね。私も最近日本の歴史を学んでいるので、色んなところへ旅行するのがますます楽しみになりました。イタリアはローマとシチリアしか行ったことがないですが、いつかフィレンツェ、行ってみたいです。
高校生の頃、ジョージ・エリオットの「ロモラ」という小説を読んだことがあります。
分厚い本で、読んでいても頭に入ってこなかった記憶が(汗)
当然、内容も覚えていません…。
でも、ジローラモ・サヴォナローラという名前はハッキリ覚えています。
彼は火刑にかけられたのですね。
実家にまだ置いてあったら、再読してみようと思います。
分厚い本で、読んでいても頭に入ってこなかった記憶が(汗)
当然、内容も覚えていません…。
でも、ジローラモ・サヴォナローラという名前はハッキリ覚えています。
彼は火刑にかけられたのですね。
実家にまだ置いてあったら、再読してみようと思います。