イタリアではそれぞれの街で人気のある(?)聖人が違います。やはり、その街に縁のある聖人は人気が高いのです。ローマは断然、聖パオロ(サウロまたはパウロ)と聖ピエトロ(ペトロ)。なぜなら、彼らはローマで殉教したといわれているからです。
もともと、ローマの市民権を持っていたパオロは、キリストを迫害する側に居たのだそうです。復活後のキリストに「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と声をかけられ、目が見えなくなります。このシーンは、「目が見えなくなり馬から落ちるパオロ」という設定で描かれることが多いのです。
その後、アナニアというキリスト教徒がパオロのもとに現れ、彼の為に祈ると、目から鱗の様なものが落ち、再び目が見えるようになったのだそうです。その後、彼は、キリスト教徒へと改宗します。
オデスカルキのパオロの回心 1600-1601 カラヴァッジョ作 (オデスカルキ家所蔵)
1600年にローマのサンタマリア・デル・ポーポロ聖堂の礼拝堂内のために。「パオロの回心
」と「パオロの殉教」が依頼されます。ところが、1年後に依頼主が亡くなってしまった為、礼拝堂のプロジェクトは中断してしまいます。
↑の作品は、最初の礼拝堂プロジェクトの際に、カラヴァッジョが描いたもの。そして、下は、現在、礼拝堂内に所蔵されている作品。これもカラヴァッジョが1605年に新バージョンとして描いたもの。
「パオロの回心」 1605年 カラヴァッジョ作 サンタマリア・デル・ポーポロ聖堂
どうですか?
同じ題材で、同じ画家が描いても、こんなに違いがあるなんて面白いです。
新バージョンの方が、シンプルで、でも凄く直接的というか、キリスト教のエピソードを離れ、まるで日常の空間で起こった出来事のようなリアリティを感じます。
さて、長く引きずったカラヴァッジョ話ですが、次回は、私が大好きな作品「聖ペトロの逆さ磔』」です。
お楽しみに~。
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もともと、ローマの市民権を持っていたパオロは、キリストを迫害する側に居たのだそうです。復活後のキリストに「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と声をかけられ、目が見えなくなります。このシーンは、「目が見えなくなり馬から落ちるパオロ」という設定で描かれることが多いのです。
その後、アナニアというキリスト教徒がパオロのもとに現れ、彼の為に祈ると、目から鱗の様なものが落ち、再び目が見えるようになったのだそうです。その後、彼は、キリスト教徒へと改宗します。
オデスカルキのパオロの回心 1600-1601 カラヴァッジョ作 (オデスカルキ家所蔵)
1600年にローマのサンタマリア・デル・ポーポロ聖堂の礼拝堂内のために。「パオロの回心
」と「パオロの殉教」が依頼されます。ところが、1年後に依頼主が亡くなってしまった為、礼拝堂のプロジェクトは中断してしまいます。
↑の作品は、最初の礼拝堂プロジェクトの際に、カラヴァッジョが描いたもの。そして、下は、現在、礼拝堂内に所蔵されている作品。これもカラヴァッジョが1605年に新バージョンとして描いたもの。
「パオロの回心」 1605年 カラヴァッジョ作 サンタマリア・デル・ポーポロ聖堂
どうですか?
同じ題材で、同じ画家が描いても、こんなに違いがあるなんて面白いです。
新バージョンの方が、シンプルで、でも凄く直接的というか、キリスト教のエピソードを離れ、まるで日常の空間で起こった出来事のようなリアリティを感じます。
さて、長く引きずったカラヴァッジョ話ですが、次回は、私が大好きな作品「聖ペトロの逆さ磔』」です。
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angela_angelo at 2010-12-23 08:48
chihoさん、おはようございます。
同じカラヴァッジョの作品をこうして比較しながら見られることは、とても有意義で面白いですね。
一枚目は、とても教義的で一般にも理解しやすい構図で、まさに一般ウケを狙った感じがします(笑)
二枚目は、信仰心から離れ、普段何気ないささいな事柄から何をくみ取るのかとの、画家からの問いかけを感じます。
それがキリスト教的解釈なのか、それ以外の何かなのかはあなたしだい、、、ということで、
個人が個人への問いかけることで、「個」を発見するんだな、と思いました。
地デジ対応の工事がまだなので、テレビを観ない(観られない)生活の我が家。
なんとか昔使っていたチューナーを今日中に夫につないでもらいます。
だめなら、、なんか考えて(笑)Chihoさんの番組を拝見したいです。がんばるぞー(笑)
同じカラヴァッジョの作品をこうして比較しながら見られることは、とても有意義で面白いですね。
一枚目は、とても教義的で一般にも理解しやすい構図で、まさに一般ウケを狙った感じがします(笑)
二枚目は、信仰心から離れ、普段何気ないささいな事柄から何をくみ取るのかとの、画家からの問いかけを感じます。
それがキリスト教的解釈なのか、それ以外の何かなのかはあなたしだい、、、ということで、
個人が個人への問いかけることで、「個」を発見するんだな、と思いました。
地デジ対応の工事がまだなので、テレビを観ない(観られない)生活の我が家。
なんとか昔使っていたチューナーを今日中に夫につないでもらいます。
だめなら、、なんか考えて(笑)Chihoさんの番組を拝見したいです。がんばるぞー(笑)
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at 2010-12-23 12:16
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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bienvenida
at 2010-12-23 12:31
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イタリアの美術館の、とある一室に入り、そこにカラヴァッジョの作品があると、真っ先に視線が吸い寄せられます。「あ~、カラヴァジョがあった!」と思い、今度は広角にアングルをひくと、やはり、カラヴァジョは異彩を放ち、吸引力がちがうのを感じます。この作品は、10年ほど前に、ロンドンの「大カラヴァジオ展」で見ました。すごかったです。人類最高の画家はやはりカラヴァジョだと思います。次回も楽しみにしています。
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y_and_r_d at 2010-12-23 13:25
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fumieve at 2010-12-23 17:48
実は、あまり好きでないのです、カラヴァッジョ。
・・・カラヴァッジョって、日本に比べればみんな好き勝手なこと言ってるイタリアでも、そんなこと言っちゃいけないような、なんというか「暗黙の了解」みたいなのがありますが。
でも、先日からこちらでChihoさんのシリーズを見ていたら、一度ちゃんと見てみようかな、と思いました。それもたぶん、美術館ではだめなので、こうしてローマの教会を回ってみようかな、と。
Buon Natale!!!
・・・カラヴァッジョって、日本に比べればみんな好き勝手なこと言ってるイタリアでも、そんなこと言っちゃいけないような、なんというか「暗黙の了解」みたいなのがありますが。
でも、先日からこちらでChihoさんのシリーズを見ていたら、一度ちゃんと見てみようかな、と思いました。それもたぶん、美術館ではだめなので、こうしてローマの教会を回ってみようかな、と。
Buon Natale!!!
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lacasamia3 at 2010-12-24 03:54
angela_angeloさん>うんうん、判る~。2枚目の作品はとても実験的というか、よく見ると、誰もまともに顔を描かれている登場人物が居ない。この大胆さがカラヴァッジョの魅力なのかも知れません。
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lacasamia3 at 2010-12-24 03:55
鍵コメAさん>有難う~。見ていただけたら嬉しいです。ダブルMちゃん達にも宜しくお伝えください。
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lacasamia3 at 2010-12-24 03:57
bienvenidaさん>カラヴァッジョって画面の構図の切り方がとっても大胆で、当時はかなり革新的だったのだと思います。演劇の影響も大きいでしょうね。
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lacasamia3 at 2010-12-24 03:58
y_and_r_dさん>カラヴァッジョの難解さは、時間の移り変わりで作風が変わるのではなく、依頼主の好みや、彼自身の好みでコロコロと作風を変えるところです。この1枚目の感じ、またその後の作品にも登場したりするんですよ。
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lacasamia3 at 2010-12-24 04:00
fumieveさん>同感~。私も今までカラヴァッジョってそれほど好きではなかったのです。カラヴァッジョの魅力を見つけるには、教会で見るというのが良いかも。今回訪れた3つの教会を巡ると、きっとカラヴァッジョにはまりますよ~。Buon Natale !!