今日はあいにく雨のフィレンツェ。昨日のうちに土おこしと種まきをしておいて良かった~。こんな日は、ユキちゃんの宿題を見ながら、のんびりとブログを書くに限ります。
ここ数日、メディチ・リッカルディ宮である現代アーチストの小さな展覧会が行われています。それをヒントに、少しだけロレンツォ豪華王と弟のジュリアーノ、そして二人の女性について書いてみたいと思います。
ロレンツォ豪華王(ロレンツォ・イル・マニーフィコ 1449-1492)は、フィレンツェで今もなお、「ロレンツォ」という名前が男の子につける名前の人気ナンバーワンであるほど、変わらない人気のある歴史的人物です。
フィレンツェがもっとも華やかで美しい初期ルネサンス期を生きた彼は、その巧みな政治的手腕だけでなく、文芸を愛し、ヨーロッパ文化の文芸復興に大いに貢献したと言われています。青年時代のロレンツォとジュリアーノ兄弟は、当時のフィレンツェのアイドルだったそうです(笑)。
当時の華やかなフィレンツェでは、ロレンツォ&ジュリアーノ兄弟と、ある二人の女性が注目の的でした。一人は、フィレンツェの名家の娘ルクレツィア・ドナーティです。
まだ独身であったロレンツォ(当時17歳 写真左)は、ある女性のお葬式で、ルクレツィア・ドナーティと偶然出会い、お互いに一目ぼれをします。でも、彼より2歳年上のルクレツィアは既婚の身でした(涙)。ナポリとフィレンツェの貿易で大規模に事業を行っていたルクレツィアの夫はフィレンツェに滅多に帰らず、ルクレツィアの結婚生活はそれ程幸せなものではなかったようです。彼女自身は芸術、音楽を愛し、容姿も美しく、ファッションのセンスにも長けていたと言われる人物。
当時、ロレンツォは弟ジュリアーノと共に、1465年頃からフィレンツェ郊外のカステッロというメディチ家の別荘にてしばしば集まっていたプラトン・アカデミーという、当時の人文主義者や芸術家の集まりに参加します。その集まりでは、古代ギリシャの哲学者プラトンの説に基づくプラトニックな愛(崇高の愛)についてしばしば語られるのです。
ロレンツォとルクレツィアの交友はその後も続きます。1469年に、ロレンツォ豪華王とクラリス・オルシー二の婚約を記念してサンタクローチェ広場で行われた馬上試合では、"la regina della giostra"(トーナメントの女王)として、豪華な衣装を身に着けたルクレツィア・ドナーティが登場し、試合に優勝したロレンツォ豪華王は、自分の銀製の兜をルクレツィアに捧げます。
また、ロレンツォは自ら書いた詩の中でも、ルクレツィアに対する「プラトニックな愛」を詠っており、友人の間でも、オープンに告白していたそうです(汗)。何とも大らかな初期ルネサンス期のフィレンツェ。
そして次は、ロレンツォの弟ジュリアーノとあるもう一人の女性のラブストーリーについて書きますね。
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ここ数日、メディチ・リッカルディ宮である現代アーチストの小さな展覧会が行われています。それをヒントに、少しだけロレンツォ豪華王と弟のジュリアーノ、そして二人の女性について書いてみたいと思います。
ロレンツォ豪華王(ロレンツォ・イル・マニーフィコ 1449-1492)は、フィレンツェで今もなお、「ロレンツォ」という名前が男の子につける名前の人気ナンバーワンであるほど、変わらない人気のある歴史的人物です。
フィレンツェがもっとも華やかで美しい初期ルネサンス期を生きた彼は、その巧みな政治的手腕だけでなく、文芸を愛し、ヨーロッパ文化の文芸復興に大いに貢献したと言われています。青年時代のロレンツォとジュリアーノ兄弟は、当時のフィレンツェのアイドルだったそうです(笑)。
当時の華やかなフィレンツェでは、ロレンツォ&ジュリアーノ兄弟と、ある二人の女性が注目の的でした。一人は、フィレンツェの名家の娘ルクレツィア・ドナーティです。
まだ独身であったロレンツォ(当時17歳 写真左)は、ある女性のお葬式で、ルクレツィア・ドナーティと偶然出会い、お互いに一目ぼれをします。でも、彼より2歳年上のルクレツィアは既婚の身でした(涙)。ナポリとフィレンツェの貿易で大規模に事業を行っていたルクレツィアの夫はフィレンツェに滅多に帰らず、ルクレツィアの結婚生活はそれ程幸せなものではなかったようです。彼女自身は芸術、音楽を愛し、容姿も美しく、ファッションのセンスにも長けていたと言われる人物。
当時、ロレンツォは弟ジュリアーノと共に、1465年頃からフィレンツェ郊外のカステッロというメディチ家の別荘にてしばしば集まっていたプラトン・アカデミーという、当時の人文主義者や芸術家の集まりに参加します。その集まりでは、古代ギリシャの哲学者プラトンの説に基づくプラトニックな愛(崇高の愛)についてしばしば語られるのです。
ロレンツォとルクレツィアの交友はその後も続きます。1469年に、ロレンツォ豪華王とクラリス・オルシー二の婚約を記念してサンタクローチェ広場で行われた馬上試合では、"la regina della giostra"(トーナメントの女王)として、豪華な衣装を身に着けたルクレツィア・ドナーティが登場し、試合に優勝したロレンツォ豪華王は、自分の銀製の兜をルクレツィアに捧げます。
また、ロレンツォは自ら書いた詩の中でも、ルクレツィアに対する「プラトニックな愛」を詠っており、友人の間でも、オープンに告白していたそうです(汗)。何とも大らかな初期ルネサンス期のフィレンツェ。
そして次は、ロレンツォの弟ジュリアーノとあるもう一人の女性のラブストーリーについて書きますね。
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hatton1971
at 2010-04-11 23:37
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真骨頂の古典美術解説、ありがとうございます。
しかし男女の間はやはり辛い話が多いですね(良い話は経験がないのもありますが)。ただ、辛い話の方が実体験が豊富なせいか感情移入しやすいです。
しかし男女の間はやはり辛い話が多いですね(良い話は経験がないのもありますが)。ただ、辛い話の方が実体験が豊富なせいか感情移入しやすいです。
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lacasamia3 at 2010-04-12 15:53
hatton1971さん>そうですね、この時代は自然恋愛はありえない時代だったので、幸せな話は少ないです。女性の結婚年齢がとても低いのもこの時代の特徴ですね。