未完の理由~メディチ家礼拝堂新聖具室

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さてさて、まだまだメディチ家礼拝堂話が続きます。
↑はヌムール公ジュリアーノの向かい側に眠る、ウルビーノ公ロレンツォの墓碑です


未完の理由~メディチ家礼拝堂新聖具室_f0106597_16513493.jpgウルビーノ公ロレンツォは、亡命中になくなった当時のメディチ家当主の長男で、メディチ家が再度フィレンツェに戻ることが許された時、20歳でした。メディチ家出身のローマ教皇レオ10世の計らいにより、ウルビーノ公の位を受け、ジュリアーノの死後、短期間、メディチ家の当主となりますが、1519年、長女カテリーナ(後のフランス王妃カテリーナ・ディ・メディチ)誕生の15日後に亡くなります。
弟のジュリアーノ、そして甥であるロレンツォの相次ぐ死を嘆き悲しんだローマ教皇レオ10世は、1519年にミケランジェロへ新聖具室の制作を依頼するのでした。


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良く見ると、確かに未完の部分が沢山あります。そして、墓碑であるとはいえ、聖具室の彫像や内部装飾には、何ともいえない不安感が漂います。


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1521年にレオ10世が亡くなり、その後、短期間のローマ教皇を間に挟み、1522年に同じくメディチ家出身のクレメンス7世(ロレンツォ豪華王の弟ジュリアーノの私生児)がローマ教皇に即位します。フランスと手を組んでローマ教皇とイタリア諸国はスペイン皇帝カール5世に対抗しますが、スペイン勢は強行軍を打ち破り、1527年にローマを略奪します。この際、ローマ教皇はサンタンジェロ城へ篭城することとなります。
フィレンツェではこの状況を利用して、対メディチ(対ローマ教皇)の共和国政府が立ち上がり、再度メディチ家をフィレンツェから追放します(この時、幼かったカテリーナ・ディ・メディチは修道院へ入れられてしまうのです)。
ミケランジェロは1527年から1530年までの3年間続いた共和国政府に加担し、要塞の設計などを手がけます。


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そして1530年、カール5世とクレメンテ7世がボローニャで交渉を行い合意に至ります(それまでイタリアを戦場に戦っていた敵同士なのですが、クレメンテ7世はカール5世を神聖ローマ皇帝とし載冠することを引き換えに、フィレンツェの共和国軍の鎮圧を援助することを要請します。しかもその3年後には、ロレンツォの娘カテリーナ・ディ・メディチをフランス王家に嫁がせ、フランスとの結びつきを強めるという、何とも混乱した戦略を進めた人物です。)。その取引の中で、クレメンス7世はウルビーノ公ロレンツォの私生児と言われるアレッサンドロを新聖ローマ帝国支配下のトスカーナ公の位を授けることを条件に盛り込みます。実はこのアレッサンドロは、クレメンス7世が奴隷に産ませた子供だと言われています。現在、↑この新聖具室のウルビーノ公ロレンツォの棺の中には、アレッサンドロの亡骸も一緒に埋葬されていることが判っています。

神聖ローマ帝国&スペインの援軍を得て、11ヶ月間の完全包囲の末、1531年にローマ教皇軍がフィレンツェに突入します。この時、ミケランジェロはフィレンツェから逃げ出し、一時期、身を隠していたそうです。
所が、すぐにローマ教皇から見つけ出され、中断していた新聖具室の政策を再開するように命令されます。
ローマ教皇とはいえ、命を懸けて戦った敵から、こうして完成をさせることを強制させられたミケランジェロは、果たしてどのような気持ちでこの彫像を彫り続けたのでしょう?

1534年、クレメンス7世が亡くなります。これを期に、ミケランジェロは、未完の新聖具室を残したままフィレンツェを離れ、ローマへ移り住みます。以後、二度とフィレンツェへは戻ることはありませんでした。

ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ、ヘンリー8世、クレメンス7世、カール5世、カテリーナ・ディ・メディチ、ミケランジェロ、ルター・・・この時代のヨーロッパは1年刻みで大きな出来事が沢山起こった激動の時期だったんですよね。私が好きな時代でもあります。

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Commented by matt-frafra at 2009-10-08 20:37 x
昨年は、新聖具室に開館早々行きました。ミケランジェロの彫刻は本当に素晴らしい。朝早かったので、空いていて、ゆっくり鑑賞できました。
これらの彫刻は、いろいろ解釈もありますが、彼の彫刻の最高傑作であることは確かです。
これで3度目。また行きたいが・・・。
Commented by mwainfo at 2009-10-09 11:42 x
はじめまして。
海外で暮らす方々の勇気にあやかりたくて訪問いたしました。
Commented by lacasamia3 at 2009-10-09 16:16
matt-frafraさん>ダヴィデばかりが注目されるけれど、この彫刻群も傑作だと思うのです。ミケランジェロによる内部建築も素晴らしい聖具室ですよね。
Commented by まんまる at 2009-10-09 18:09 x
詳しい説明を有り難うございました。
この聖具室を 2回見学した事があります。ミケランジェロの彫刻群は 写真でも見る事は出来ますが、あの空間からにじみ出るオーラは現地でなければ味わえない特別な物だと感じています。
以前ご紹介いただいたように 教会のお堂の中にも 傑作がひしめいていると知っているのに、聖具室からお堂の中に出たとたん もう満足しきってしまって そのまま外に出てしまいました。
帰国後 そ〜いえば・・・と後悔しています。
また 行かなくては!
Commented by stessa2 at 2009-10-09 18:39
Chihoさんこんにちは^^
この時代はどんなに高貴な人物でも人間くささが漂って
ドキドキするような魅力を感じてしまいます。
そんな歴史上の人物が一瞬でも身近に感じられるフィレンツェは
まるでタイムカプセルのようで、目に見えない圧倒的な力で
訪れた人々を歴史のうねりに引き込んでしまいます。
Chihoさんの歴史に関するお話をこちらで聞く度にまたうねりに
巻き込まれたくなります。^^
Commented at 2009-10-09 22:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by lacasamia3 | 2009-10-08 18:32 | フィレンツェお薦め処 | Comments(6)

フィレンツェで山暮らしをするchihoの田舎便りです。フィレンツェの街歩き情報、イタリア風家庭菜園、お勧めレストラン現地情報、日帰りで行ける街の情報など。フィレンツェの滞在型アパートの紹介サイト「ラ・カーサ・ミーア」を運営しています。


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