先日、ユキちゃんと二人で訪れたカーサ・ブオナローティ美術館についてお伝えします。
1508年にミケランジェロがこの土地を購入し、1543年から53年にわたり彼の甥にあたるレオナルド・ブオナローティによって、この邸宅が建てられます。この時期、ミケランジェロ本人は既にフィレンツェを離れ、ローマに移り住んでおり、彼はこの家に住んだことはありませんでした。
ミケランジェロ本人の作品は殆どないのですが、ミケランジェロの私物や、ミケランジェロにちなんで後世に描かれた作品などが展示されなかなか興味深い美術館ですよ。
2階にはミケランジェロのスリッパが展示されています。巨匠ミケランジェロの足のサイズが意外に小さくてビックリしました(笑)。昔の人って小柄だったんですね。
さて、この美術館には2点、ミケランジェロの初期の作品が展示されています。
1つは「ケンタウルスの闘い」。今回は、もう一点の「階段の聖母」"Madonna della Scala"(マドンナ・デッラ・スカーラ)について書いてみたいと思います。

ミケランジェロ・ブオナローティ作
「階段の聖母」 1491年
ミケランジェロ16歳の時の作品です。
1488年にドメニコ・ギルランダイオの工房へと入ったミケランジェロは、短期間で工房を出ることとなってしまいます。その原因としては、どうやら彼の特出した才能ゆえにギルランダイオが嫉妬をしたからだそうです。
そして、1490年頃から、ミケランジェロは、ロレンツォ豪華王や彼の側近、哲学者、芸術家などが集まっていたサンマルコ修道院近くのメディチ家の庭園に通うようになります。この庭園には、ロレンツォ豪華王がローマから運ばせてきた古代ローマの彫刻が飾られ、当時のルネサンスの画家、彫刻家に、古代の彫刻を学ばせる場所となったのでした。
若きミケランジェロもこの庭園で様々な作品に出会ったことでしょうね。
そんな時代に彼が生み出したこの作品。
まず作品を見てとても印象的なのが、聖母の異常なまでの手足の大きさ。そして、聖母図でありながらも、聖母は鑑賞者の方は全く見ず、幼子の運命を察するかのような静かな、でも悲しげな横向きの表情で、うつろな目線を斜め下へ落としています。
幼子は鑑賞者には完全に背を向け、ねじるように右手を背中にまわしています。このポーズは後々のミケランジェロの彫刻にも度々見られます。腕の太さや、背中の筋肉の逞しさがちっとも幼子らしくないなあ(笑)。
宗教的な「聖母図」という題材の中に、幼子の母でありながら人類の救世主となるキリストの母でもある聖母マリアの人間的な、そして崇高な心情を表しています。宗教と人間性の間で自らの表現を確立していくミケランジェロのその後を予告するような作品。まだ16歳だったんですよねえ(汗)。
実際に見ると良く判るのですが、凹凸の差がとても少ないのに、良く奥行きが表現されています。
これは、前世代の彫刻家ドナテッロが既に実践した"stiacciato"(スティアッチャート)と呼ばれる技法です。この名前は多分、schiacciato(スキアッチャート=押しつぶした)という言葉から由来しているのでしょう。
スティアッチャートの技法を使った作品で、恐らく、ミケランジェロがこの聖母図を制作する前、または制作中に見たであろう作品として、以下のドナテッロの聖母図があります。

ドナテッロ
「パッツィの聖母」"Madonna Pazzi"
1425年ー30年 ベルリンのStaatliche Museen蔵
ミケランジェロの聖母図からは、60年ほど前に遡る作品ですが、静かな、でもドラマチックな美しさはミケランジェロの聖母に劣ることがありません。フィレンツェのサンタクローチェ教会の受胎告知と並んで、ドナテッロのbasso rilievo(バッソ・リリエーヴォ)と呼ばれる浮き彫りの傑作です。
横顔の聖母、我が子の運命を予感する様な聖母の表情は、ミケランジェロの「階段の聖母」に強く受け継がれています。どちらの聖母図もそれぞれの良さがありますね。
余談ですが、フィレンツェのこのドナテッロの聖母図がドイツにどういう経緯で運ばれたのか調べるのも面白そうですね。コジモ1世以降、ドイツーオーストリアとフィレンツェのメディチ家の結びつきが強まるから、その頃に運ばれたのか、もしくは第二次大戦中にドイツ軍によって運ばれたのか・・・。
話がそれましたが、ともかく、若きミケランジェロの聖母図を見に、この小さな美術館を訪れるのもなかなか良いですよ。
カーサ・ブオナローティ
Casa Buonarroti
Via ghibellina 70
9:30-14:00
火曜日休館
入館料6.5ユーロ
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1508年にミケランジェロがこの土地を購入し、1543年から53年にわたり彼の甥にあたるレオナルド・ブオナローティによって、この邸宅が建てられます。この時期、ミケランジェロ本人は既にフィレンツェを離れ、ローマに移り住んでおり、彼はこの家に住んだことはありませんでした。
ミケランジェロ本人の作品は殆どないのですが、ミケランジェロの私物や、ミケランジェロにちなんで後世に描かれた作品などが展示されなかなか興味深い美術館ですよ。
2階にはミケランジェロのスリッパが展示されています。巨匠ミケランジェロの足のサイズが意外に小さくてビックリしました(笑)。昔の人って小柄だったんですね。
さて、この美術館には2点、ミケランジェロの初期の作品が展示されています。
1つは「ケンタウルスの闘い」。今回は、もう一点の「階段の聖母」"Madonna della Scala"(マドンナ・デッラ・スカーラ)について書いてみたいと思います。

ミケランジェロ・ブオナローティ作
「階段の聖母」 1491年
ミケランジェロ16歳の時の作品です。
1488年にドメニコ・ギルランダイオの工房へと入ったミケランジェロは、短期間で工房を出ることとなってしまいます。その原因としては、どうやら彼の特出した才能ゆえにギルランダイオが嫉妬をしたからだそうです。
そして、1490年頃から、ミケランジェロは、ロレンツォ豪華王や彼の側近、哲学者、芸術家などが集まっていたサンマルコ修道院近くのメディチ家の庭園に通うようになります。この庭園には、ロレンツォ豪華王がローマから運ばせてきた古代ローマの彫刻が飾られ、当時のルネサンスの画家、彫刻家に、古代の彫刻を学ばせる場所となったのでした。
若きミケランジェロもこの庭園で様々な作品に出会ったことでしょうね。
そんな時代に彼が生み出したこの作品。
まず作品を見てとても印象的なのが、聖母の異常なまでの手足の大きさ。そして、聖母図でありながらも、聖母は鑑賞者の方は全く見ず、幼子の運命を察するかのような静かな、でも悲しげな横向きの表情で、うつろな目線を斜め下へ落としています。
幼子は鑑賞者には完全に背を向け、ねじるように右手を背中にまわしています。このポーズは後々のミケランジェロの彫刻にも度々見られます。腕の太さや、背中の筋肉の逞しさがちっとも幼子らしくないなあ(笑)。
宗教的な「聖母図」という題材の中に、幼子の母でありながら人類の救世主となるキリストの母でもある聖母マリアの人間的な、そして崇高な心情を表しています。宗教と人間性の間で自らの表現を確立していくミケランジェロのその後を予告するような作品。まだ16歳だったんですよねえ(汗)。
実際に見ると良く判るのですが、凹凸の差がとても少ないのに、良く奥行きが表現されています。
これは、前世代の彫刻家ドナテッロが既に実践した"stiacciato"(スティアッチャート)と呼ばれる技法です。この名前は多分、schiacciato(スキアッチャート=押しつぶした)という言葉から由来しているのでしょう。
スティアッチャートの技法を使った作品で、恐らく、ミケランジェロがこの聖母図を制作する前、または制作中に見たであろう作品として、以下のドナテッロの聖母図があります。

ドナテッロ
「パッツィの聖母」"Madonna Pazzi"
1425年ー30年 ベルリンのStaatliche Museen蔵
ミケランジェロの聖母図からは、60年ほど前に遡る作品ですが、静かな、でもドラマチックな美しさはミケランジェロの聖母に劣ることがありません。フィレンツェのサンタクローチェ教会の受胎告知と並んで、ドナテッロのbasso rilievo(バッソ・リリエーヴォ)と呼ばれる浮き彫りの傑作です。
横顔の聖母、我が子の運命を予感する様な聖母の表情は、ミケランジェロの「階段の聖母」に強く受け継がれています。どちらの聖母図もそれぞれの良さがありますね。
余談ですが、フィレンツェのこのドナテッロの聖母図がドイツにどういう経緯で運ばれたのか調べるのも面白そうですね。コジモ1世以降、ドイツーオーストリアとフィレンツェのメディチ家の結びつきが強まるから、その頃に運ばれたのか、もしくは第二次大戦中にドイツ軍によって運ばれたのか・・・。
話がそれましたが、ともかく、若きミケランジェロの聖母図を見に、この小さな美術館を訪れるのもなかなか良いですよ。
カーサ・ブオナローティ
Casa Buonarroti
Via ghibellina 70
9:30-14:00
火曜日休館
入館料6.5ユーロ
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16才でこんな素晴らしいレリーフが作れるなんて、ミケランジェロは凄い天才だねと、Kちゃんと見ながら感心しました。
それにしても、ロレンツォ豪華王がいたからこそルネッサンスが花開いたんですね。
ドナテッロのレリーフも額の中で浮き出ているような、素敵な浮き彫り。
やさしい感じ好きです。実物に逢いたいですね。
彫刻家の年代の流れが、ドナッテロからミケランジェロですか?
逆だと勘違いしてました。
それにしても、ロレンツォ豪華王がいたからこそルネッサンスが花開いたんですね。
ドナテッロのレリーフも額の中で浮き出ているような、素敵な浮き彫り。
やさしい感じ好きです。実物に逢いたいですね。
彫刻家の年代の流れが、ドナッテロからミケランジェロですか?
逆だと勘違いしてました。
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こうしたあまり観光などでは行かないような、美術館っていいですね。
大きな作品はなくても、有名なミケランジェロの私物などが展示されていたら、それだけでなんだかうれしい気分になりそうです。
またイタリアの知らない魅力を発見できた気がします★
大きな作品はなくても、有名なミケランジェロの私物などが展示されていたら、それだけでなんだかうれしい気分になりそうです。
またイタリアの知らない魅力を発見できた気がします★
nonnakaoriさん>ドナテッロとミケランジェロの間には60年くらいの差があります。ドナテッロのほうが先です。このドナテッロのレリーフ素敵ですよね。
fiorentinoさん>余り知られていない小さな美術館ですが、逆に落ち着いて鑑賞ができて、数は少なくても心に残る作品が展示されています。