メディチ家がフィレンツェに残したもの~アンナマリア・ルイーザ・ディ・メディチ

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さて、「最後のメディチ」、アンナマリア・ルイーザは、トスカーナ大公としてトスカーナ公国を継承したフランツ・シュテファンとマリア・テレジアによってのメディチ家の資産の流出を恐れ、ある条約を作成します。

1737年に、アンナマリア・ルイーザと新トスカーナ大公フランツ・シュテファンの両者により署名された"Patto di Famiglia"(パット・ディ・ファミーリア)という条約の中で彼女は、以下のような条件を提示しています。






以下に挙げられたメディチ家の資産を下記の条件の下、トスカーナ公国に寄付する

これらの資産は、トスカーナ公国外には持ち出してはならない
これらの資産は、外国人の興味を惹き、トスカーナ公国にとって有効な目的で利用されなくてはならない。


と明言しています。

彼女がメディチ家の資産として挙げたものは、

・ウフィッツィ美術館、ローマのパラッツォメディチ、ピッティ宮殿、その他のメディチ家の別荘に保管される全ての絵画と彫刻

・ウフィッツィ美術館の貴石保管室に保管されている全ての宝石

・バルジェッロ博物館に保存されているカメオ、アンティークのコイン、ロレンツォ豪華王のメダルなどのコレクション

・バルジェッロ博物館に保存されているドナテッロ、ヴェロッキオ、ミーノ・ダ・フィエーゾレ、その他の著名な彫刻家作の胸像、彫刻

・サンロレンツォの新聖具室とミケランジェロの傑作

・パラティーナ図書館とサンロレンツォのメディチ家図書館(ラウレンツィアーナ)に保存されている全ての書物

・エトルリア・エジプト博物館(現在の考古学博物館)に保存されている全てのコレクション

・バルジェッロ博物館に保存されているウルビーノとファエンツァの陶器コレクション、武器、甲冑のコレクション

・タペストリー博物館に保存されているタペストリーコレクション

・ピッティ宮とウフィッツィ美術館に保存されているモザイク製のテーブル、飾り箪笥、家具のコレクション

・ピッティ宮の「財宝の部屋」に保存されている金の果物皿、陶器、銀器、象牙とメノウの十字架、クレメンテ七世が保管していたミニアチュール、チェッリーニ作の壺、ワイングラス、その他メディチが所有していた全てのもの

・ピッティ宮トスカーナ大公の礼拝所に保存されている全ての聖具

・メディチ家が保存していた膨大なドレスのコレクション

彼女は、per utilità del Pubblico e per attirare la curiosità dei Forestieri「 「 (公共の益になるために、また外国人の興味を惹くために)利用されなくてはならない」と文中で明言しています。
1700年代に、既に「観光産業」の有効性に目をつけていたアンナマリア・ルイーザって、ホント凄いなあと思います。

1743年2月18日、彼女は76歳で亡くなります。彼女が亡くなった時、フィレンツェでは突風が吹いたそうです。彼女の死を惜しんだ人は、「最後のメディチの死を天が嘆き悲しんでいる」と言い、反メディチの人は、「悪魔が最後のメディチを連れ去った」と言ったそうです。

遠い先祖のジョヴァンニ・ディ・ビッチの誕生から数えて、約380年間、フィレンツェの街に生きたメディチ家の歴史はこうして幕を閉じるのでした(長かったっ・笑)。

この後、フィレンツェ小話は、そのままハプスブル家支配時代→ナポレオン登場時代→ハプスブルグ家復活時代→イタリア首都時代→近代へと続けていこうと思います。

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Commented by chieko at 2009-01-27 21:12 x
以前にもメディチ家と、ハプスブルグ家の対比をコメントしたと思いますが、ぜひこの繁栄の以降、地域庶民への支援の移り変わり、二つの家は本当に対照的だと思いますが,その辺のところも是非開設して頂きたい。どうして、こんなにフィレンチェとウィーンがちがうのか、それは両家の支配構造が違うと思うのですが、楽しみにしています。
Commented by Sette at 2009-01-27 21:28 x
こんな昔から観光に目を向けてたなんて。彼女の判断は正しかったですね。観光客多すぎて大変な時もありそうですけど(笑)
前記事ですが、いじめ、考えなければいけない事だし、なくならないものだとは思いますけれど、仲良しさんがいれば(何かあった時にいじめる側に絶対につかないって信頼できる)大丈夫じゃないでしょうか。あまり考えすぎちゃうと大変ですし。ユキちゃんなら大丈夫だと思うけどなぁ♪
いじめられる側、いじめられる側にももちろんなって欲しくないけど、両方にいい顔する人も、嫌(汗)
Commented by woodstove at 2009-01-27 21:30
 改めて、その史実を知りました。
文化と芸術は、それなりの栄華の上にあったと理解しております。
それを保存し継承する。。。アンナマリア・ルイーザって方はエライです。
(^^;)
Commented by fiorentino at 2009-01-27 22:38 x
大学の卒論でマリーアントワネットの生涯についてをテーマにしたので、母であるマリア・テレジアについてもいろいろ調べてました。
そのときのことを思い出しながら合わせて読ませていただいたので、余計に興味深かったです(^^)
それにしてもアンナマリア・ルイーザはすごい人ですね。
フィレンツェに数々のメディチ家の資産が残されているのは彼女のおかげですね☆
フィレンツェ小話、また楽しみにしています♪
Commented by dolcenori at 2009-01-28 01:59
そうなんですよね、持ち出し禁止なのにTIZIANOのウルヴィーノのヴィーナス(これ貸し出し頻度高し)、日本にはダヴィンチの受胎告知が貸し出されましたよね。
アンナマリア・ルイーザのお言葉、もう一度読んでください。って感じです。(笑)きっとこんなエピソードもウフィッツィ職員の中には知らない人がいっぱいいるだろうなぁ。
Commented by Summer at 2009-01-28 19:18 x
アンナマリア・ルイーザの「公共の益になるために」という気持ちが素晴らしいですよね。でもその意思を現代のイタリアが保持している(?)っていう事実も凄い!
Commented by よっぴー at 2009-01-28 20:28 x
彼女の話は知っていましたが、こんなに細かい資産リストは初めてしりました!
ガイドブックなどにも「メディチ家の財産」という漠然とした言葉でしか載っていませんので。
う~ん、それにしてもスゴイ!!!
Commented by lacasamia3 at 2009-01-29 03:09
chiekoさん>ウィーンとフィレンツェの街の感じの違いですよね。う~ん、ずっと今日考えていたけれど、回答はまだでないかなあ。でも、フィレンツェの多くの建造物や美術品はルネサンス時代に作られたものであること、ダンテが生まれた街、レオナルド・ダヴィンチやミケランジェロが育った街という所に回答が隠されているのかも。ハプスブルグ家自体がフィレンツェの地域庶民へ支援をしたかというと、う~ん?どうかなあ。啓蒙主義をフィレンツェにもたらしたけれど、税金はオーストリアに流れていたし、徴兵された大量のトスカーナ人が戦争に送られて生還できたのは10%だったりと庶民への貢献はそれ程なかったと思うんです。
Commented by lacasamia3 at 2009-01-29 03:09
Setteさん>フィレンツェで観光の分野の仕事をしている人は、彼女に足を向けて眠れないかも(笑)。
Commented by lacasamia3 at 2009-01-29 03:10
woodstoveさん>この条約が結ばれなかったら、きっとドゥオーモやウフィッツィ美術館は残ったものの、中は空っぽだったでしょうね。
Commented by lacasamia3 at 2009-01-29 03:10
fiorentinoさん>子沢山だったマリア・テレジアに子供が生まれる度に、ヴェッキオ宮殿で花火が上がり、お祭りが行われたそうです。
Commented by lacasamia3 at 2009-01-29 03:10
のりへいさん>ははは、確かに(汗)。それにしても、ティツィアーノのウルヴィーノのヴィーナスって魅力的な作品ですよね。
Commented by lacasamia3 at 2009-01-29 03:10
Summerさん>紙切れ一枚とはいえ、コレでフィレンツェの美術品が流出せずに残ったんですもんね。凄い量なんですよ。
Commented by lacasamia3 at 2009-01-29 03:11
よっぴーさん>私も今まで「メディチ家の財産」としか読んだことがなくて、ウフィッツィ美術館にある絵画や彫刻くらいかな?って思っていたんですが、こうして契約書の原文を読むと、本当に細かく指定してあるんですよね。それも、かなりいろんな種類の美術品があるんですよね。
Commented by Chieko  at 2009-01-31 03:23 x
なんか小難しいことを言って悩ませてしまいましたか? ルネッサンス史をアメリカの高校で教えている夫の言葉を解釈すると、「メディチは積極的に芸術家を奨励し支援したから、こうして街が屈託なく庶民の力がみなぎっている。一方、ハプスブルグ家は庶民から吸い取るだけ税金のついでに生命力を、だから街が退廃しているように感じられる。」実際、ウィーンとフィレンツェの同じような建築様式のドゥオモ教会は、中に入ると全然違いますものね。いづれにせよ、フィレンツェの街はすう世紀経った今でも、活気に満ちているのは、このルイーザ姫のおかげかな。
by lacasamia3 | 2009-01-27 18:22 | フィレンツェ小話 | Comments(15)

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