張りぼて凱旋門で歓迎~アンナマリア・ルイーザ

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1737年に最後のメディチ家出身のトスカーナ大公、ジャンガストーネが亡くなります。
この時点で既に、ハプスブルグーロートリンゲン家のフランツ・シュテファンがトスカーナ大公となることが決まっていました。
所が当時、フィレンツェにはまだ、メディチ家の直系の血を引く「最後のメディチ」アンナマリア・ルイーザ・デ・メディチ(↑は若い時の肖画です)が残っていたのです。当時70歳で乳癌を患っていた彼女は、ピッティ宮殿の一角に自分の宮廷を設けること、今までどおりの生活を続けることを条件にフィレンツェの政治には干渉しないことにします。


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1739年1月20日、結婚したばかりの新婦マリア・テレジアと共に、新トスカーナ大公フランツ・シュテファンがウィーンからフィレンツェへやってきます。


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新トスカーナ大公夫妻を迎えるため、フィレンツェでは、現在のリベルタ広場の真ん中にある凱旋門の建設計画が持ち上がります。所が、フランツ・シュテファンの承諾を受け、オーストリア人建築家がフィレンツェに到着したのが1738年の12月(苦笑)。1ヶ月で凱旋門が出来るわけがないですよね。
12月、1月の厳しい寒さの中、工事が行われるのですが、結局土台を作ったのみで間に合いません。オーストリア勢はすぐそこまで来ている!ということで、木の枠を作り、そこに凱旋門を描いた布を被せることにします。いわゆる張りぼてです(爆)。
近くから見るとバレてしまうので、新トスカーナ大公の馬車のルートを大幅に変え、かなり遠回りし、張りぼて凱旋門を遠くから眺めるようにしたそうです(笑)。きっと、バレバレだったのでしょうが、この辺りはオーストリア人。お行儀良く、特にコメントもせずにフィレンツェに到着したそうです。きっと皮肉屋のフィレンツェ人だったら、わざわざ馬車を近くまで寄せて、激しくツッコミをいれまくるでしょうねえ(笑)。


こうして、フランツ・シュテファンとマリア・テレジアはフィレンツェに到着し、ピッティ宮殿に滞在します。彼らは早速、代々のトスカーナ大公が所有していた銀製品、ドレス、家具などを競売にかけて売り始めます。この3ヶ月の滞在の費用をコレで捻出したそうなんですよ(汗)。
その後、2人はウィーンに戻るのですが、ピッティ宮殿にはトスカーナ大公代理とそのお付きのもの、政治家として多くのオーストリア人が残ります。

このままではメディチ家の財宝が全てフィレンツェから持ち出されてしまうという危険を感じたアンナマリア・ルイーザは、ある条約を作成します。

この続きは叉次回・・・

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Commented by sarah000329 at 2009-01-21 13:10
うわぁ~~ん。ドキドキですぅ~。なんだかドラマを見ているみたいな
展開です。一番いいところで、つづく・・・・・ ってなるところも。 笑
Commented by Summer at 2009-01-21 15:16 x
き、気になる・・・・。
Commented by maururu0724 at 2009-01-22 23:32
本当に歴史って面白いですネ。
学生時代にもっと先生が楽しく授業してくていたら。。。
なんて思う今日この頃です(笑)

歴史の中で権力争いや宗教問題に翻弄されるのは女性と子供ばかりで、ちょっと悲しくなります。
Commented by lacasamia3 at 2009-01-22 23:33
sarah000329さん>良くバスで通る広場の真ん中にこの凱旋門があるんですが、こうして歴史上の話を知るとまた見方が変わってきます。続きをお楽しみに♪
Commented by lacasamia3 at 2009-01-22 23:35
Summerさん>長いフィレンツェの歴史の中で、このとき初めて外国の(まあイタリアという国もこの当時存在はしていなかったのですが)勢力が入り込み、事実上「支配」されてしまうんですよね。
Commented by lacasamia3 at 2009-01-22 23:39
maururu0724さん>そうなんですよね。この時期、オーストリアの戦争にトスカーナも巻き込まれて、多くのトスカーナ人が戦争に借り出されたそうです。寒い北ヨーロッパに遠征させられて、10分の1の兵士だけがトスカーナに生還したそうなんですよ。うんうん、私も今だったら大学の歴史の授業をもう一回真面目に聴講していただろうなあと反省しています。
by lacasamia3 | 2009-01-20 19:02 | フィレンツェ小話 | Comments(6)

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