メディチ家によるサンロレンツォ聖堂の増築プロジェクトは、1418年にフィリッポ・ブルネッレスキへ委託され、1421年には図面が出来上がったそうです。聖堂内の旧聖具室が1429年に完成し、1446年のブルネッレスキの死後も、身廊、新聖具室、ラウレンツィアーナ図書館、君主の礼拝堂へと工事は続きます。
1860年の天井の改装にも関わらず、ルネサンスの巨匠ブルネッレスキのオリジナルの建築空間が明確に残る美しい聖堂です。白い漆喰の部分と、グレーのピエトラセレーナと呼ばれるフィレンツェ原産の自然石がリズム良く組み合わせられていて、連なる柱と側廊の丸い天井が一体化しています。この聖堂に足を踏み入れると、そんな建築のリズムを感じます。
メディチ家の聖堂にふさわしく、デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ作の浮き彫り祭壇や、晩年のドナテッロ作の説教壇、ブロンズィーノ作のフレスコ画、フィリッポリッピ作の受胎告知図など、傑作が揃っています。
今回は、「メディチ家のお墓」として観察してみたいので、祭壇に向かって左側の旧聖具室に向かいましょう。
旧聖具室は、ブルネッレスキにより1429年に完成されます。そして同時期かその直後に、同じくルネサンスの彫刻家ドナテッロにより各所に配置された円形のレリーフや、祭壇左右の4人の聖人を表す2パネル(写真左 「聖ステーファノと聖ロレンツォ」)が制作されます。
真ん中にある大理石のテーブルの下には、メディチ家の創始者
ジョヴァンニ・ディ・ビッチと妻
ピッカルダ・ブエーリが埋葬されています。テーブルの下というのは、果たしてベストな場所なのでしょうか(笑)??疑問に思ってしまうのはきっと現代人の価値観で見ているからなのでしょうね。中世人の眼で見なくては・・・。
一方、2代目当主
コジモ・イル・ヴェッキオは、旧聖具室ではなく、聖堂の身廊奥、主祭壇の手前の床の丸い大理石部分に埋葬されています。
さて、旧聖具室内に戻り、左側には、3代目当主
ピエロ・ディ・メディチ(写真右 )と弟の
ジョヴァンニの棺があります。ヴェロッキオ作の優雅な美しいお棺です。
このお棺は意外なところで登場します。↑は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作の「受胎告知」(フィレンツェ、ウフィッツィ美術館蔵)。
聖母マリアの前に置かれたテーブルの足元を見ると、どこかで見たような装飾が・・・。ヴェロッキオのお棺は確実に見ていたであろうレオナルド。そのまま真似するのではなく(それはプライドが許さなかったんでしょうね)、ちょっと変えてはいますが、きっとスケッチをしていたのでしょうね。
ちょっと長くなりましたが、もう一つだけ・・・
旧聖具室の奥の小さな祭壇の上は、丸いドーム上になっていて、星の夜空が描かれています。
近年の研究で、星の配置により、実はこの夜空は、1442年7月4日のフィレンツェの夜空を描いたということが判ったそうです。アラゴン家に王位を奪われナポリを追われ、フランスに戻る途中であったアンジュー公ルネ・ダンジューのフィレンツェ訪問の日を記念したものと言われています。
当時、コジモ・イル・ヴェッキオ(53歳)、ピエロ・ディ・メディチ(26歳)、 ロレンツォ豪華王(この7年後に誕生)。当時の人たちは、この7月の夜空をどんな気持ちで見上げていたんでしょうね。
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