ユキちゃんと山猫

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メディチ話の途中ですが・・・
今月新学期が始まり、毎日楽しく学校に通っているユキちゃん。昨日、学校から帰ってきたら、ノートのページ一杯に描いた自信作の絵を見せてくれました。
どうも、先生に「ノートの1ページ目に表紙として好きな絵を描いて良い」と言われたようです。ユキちゃんが描いたのは「ヤマネコ」(ププッ)。


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何故、夏休み明けからこの動物にこだわっているのかというと、どうやら、親友のGちゃんが夏休みに南イタリアのアブルッツォ自然公園に行ったそうなんです。広大な自然が残るアブルッツォ自然公園には、1970年代に東欧カルパチア山脈から繁殖目的で連れてこられたヤマネコが生息しているそうです。勿論、Gちゃんがヤマネコを見れたとは思いませんが、きっとどこかにヤマネコが生息している広大なアブルッツォの山を見て、猫好きのGちゃんなりに色々感じたのでしょうね。
そんなGちゃんの話を聞いたユキちゃんも、すっかりヤマネコにはまってしまったのです(笑)。
面白いのは、ユキちゃんのヤマネコが雪に埋もれていること。アブルッツォ自然公園も、カルパチア山脈も冬はとても寒くて雪が降る場所だから、ヤマネコも雪の中で逞しく生きているのでしょう。


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カッと口を開けているところが面白いです。そうそう、よくお隣のラウラの猫があくびをするところを、面白そうに観察していたっけ。

これから、冬に向かって秋が深まっていきますが、ユキちゃんのヤマネコは、きっと今年の冬もどこかの山の雪の中で逞しく元気に生息しているのでしょうね。

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# by lacasamia3 | 2009-09-30 17:45 | お絵かきコレクション | Comments(11)
フィレンツェの夏の夜空と巨匠の競作~サンロレンツォ聖堂_f0106597_15531485.jpg
メディチ家によるサンロレンツォ聖堂の増築プロジェクトは、1418年にフィリッポ・ブルネッレスキへ委託され、1421年には図面が出来上がったそうです。聖堂内の旧聖具室が1429年に完成し、1446年のブルネッレスキの死後も、身廊、新聖具室、ラウレンツィアーナ図書館、君主の礼拝堂へと工事は続きます。
1860年の天井の改装にも関わらず、ルネサンスの巨匠ブルネッレスキのオリジナルの建築空間が明確に残る美しい聖堂です。白い漆喰の部分と、グレーのピエトラセレーナと呼ばれるフィレンツェ原産の自然石がリズム良く組み合わせられていて、連なる柱と側廊の丸い天井が一体化しています。この聖堂に足を踏み入れると、そんな建築のリズムを感じます。
メディチ家の聖堂にふさわしく、デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ作の浮き彫り祭壇や、晩年のドナテッロ作の説教壇、ブロンズィーノ作のフレスコ画、フィリッポリッピ作の受胎告知図など、傑作が揃っています。
今回は、「メディチ家のお墓」として観察してみたいので、祭壇に向かって左側の旧聖具室に向かいましょう。


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旧聖具室は、ブルネッレスキにより1429年に完成されます。そして同時期かその直後に、同じくルネサンスの彫刻家ドナテッロにより各所に配置された円形のレリーフや、祭壇左右の4人の聖人を表す2パネル(写真左 「聖ステーファノと聖ロレンツォ」)が制作されます。


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真ん中にある大理石のテーブルの下には、メディチ家の創始者ジョヴァンニ・ディ・ビッチと妻ピッカルダ・ブエーリが埋葬されています。テーブルの下というのは、果たしてベストな場所なのでしょうか(笑)??疑問に思ってしまうのはきっと現代人の価値観で見ているからなのでしょうね。中世人の眼で見なくては・・・。


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一方、2代目当主コジモ・イル・ヴェッキオは、旧聖具室ではなく、聖堂の身廊奥、主祭壇の手前の床の丸い大理石部分に埋葬されています。


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さて、旧聖具室内に戻り、左側には、3代目当主ピエロ・ディ・メディチ(写真右 )と弟のジョヴァンニの棺があります。ヴェロッキオ作の優雅な美しいお棺です。


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このお棺は意外なところで登場します。↑は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作の「受胎告知」(フィレンツェ、ウフィッツィ美術館蔵)。


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聖母マリアの前に置かれたテーブルの足元を見ると、どこかで見たような装飾が・・・。ヴェロッキオのお棺は確実に見ていたであろうレオナルド。そのまま真似するのではなく(それはプライドが許さなかったんでしょうね)、ちょっと変えてはいますが、きっとスケッチをしていたのでしょうね。


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ちょっと長くなりましたが、もう一つだけ・・・
旧聖具室の奥の小さな祭壇の上は、丸いドーム上になっていて、星の夜空が描かれています。
近年の研究で、星の配置により、実はこの夜空は、1442年7月4日のフィレンツェの夜空を描いたということが判ったそうです。アラゴン家に王位を奪われナポリを追われ、フランスに戻る途中であったアンジュー公ルネ・ダンジューのフィレンツェ訪問の日を記念したものと言われています。
当時、コジモ・イル・ヴェッキオ(53歳)、ピエロ・ディ・メディチ(26歳)、 ロレンツォ豪華王(この7年後に誕生)。当時の人たちは、この7月の夜空をどんな気持ちで見上げていたんでしょうね。

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# by lacasamia3 | 2009-09-28 18:16 | フィレンツェお薦め処 | Comments(12)
メディチ家300年の霊廟~サン・ロレンツォ聖堂_f0106597_23182875.jpg先日、メディチ家礼拝堂に行ってきました。その時のことを書こうと思ったのですが、ふと考えると、もともとメディチ家礼拝堂は、サンロレンツォ聖堂の一部であり、歴史的には切り離しては語れないモニュメントです。
大理石が素晴らしい「君主の礼拝堂」とミケランジェロ作の「新聖具室」が見所ですが、時代背景を知るにはまずは、サンロレンツォ大聖堂と合わせて観察する方が判りやすいと思いました。

これから何回かで、メディチ家の霊廟を、サンロレンツォ聖堂(旧聖具室)、メディチ家礼拝堂(地階 クリプタ部分)、メディチ家礼拝堂(君主の礼拝堂)、メディチ家礼拝堂(神聖具室)の4つのお墓に分けて時代順に書いてみたいと思います。


メディチ家300年の霊廟~サン・ロレンツォ聖堂_f0106597_20192100.jpg
サン・ロレンツォ聖堂は、393年に殉教者聖ロレンツォを祭る聖堂として建てられます。意外なのですが、実はサンロレンツォ聖堂は、フィレンツェのドゥオーモの前身であるサンタレパラータ教会が大聖堂となる前までは、フィレンツェ初のキリスト教会として街の大聖堂だったのです。
1418年、銀行家であり、初代メディチ家当主ジョヴァンニ・ディ・ビッチがメディチ家の教会として大規模な増築計画を立ち上げます。
それ以来、メディチ家の代々の当主そして家族は、「最後のメディチ」となるアンナ・マリア・ルイーザ(1667-1743)まで、皆、このサンロレンツォ大聖堂と後方のメディチ家礼拝堂内に埋葬されます。

現在は、下の図のように、サンロレンツォ大聖堂(入り口矢印黒 白い部分)、メディチ家礼拝堂(入り口矢印青 青い部分)、ラウレンツィアーナ図書館(入り口矢印オレンジ 黄色い部分)の3つに分かれてしまっているために、同じ聖堂の敷地内にあるとは余り想像しにくいのですが、実際にはそれぞれ深い結びつきのあるモニュメントです。


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左の図の通り・・・

1 大聖堂身廊
2 旧聖具室(ドナテッロ作)
3 君主の礼拝堂(下はクリプタ)
4 新聖具室(ミケランジェロ作)
5 中庭
6 階段(ミケランジェロ作)
7 ラウレンツィアーナ図書館(ミケランジェロ作)


↑こうして見ると、コジモ・イル・ヴェッキオ、ピエロ・ディ・メディチが埋葬される旧聖具室(2)と、ロレンツォ豪華王&弟のジュリアーノ、ウルビーノ公ロレンツォ・ディ・メディチ、ネムール公ジュリアーノ・ディ・メディチが埋葬される新聖具室(4)が対照位置にあり、正面の祭壇の更に奥に、コジモ1世以降のメディチ家当主が埋葬される君主の礼拝堂(3)、その下には、その他のメンバーが眠るクリプタ、があることが判ります。

300年にも渡って、メディチ家の歴史と共にその姿を変化し続けたサンロレンツォ聖堂。
次回は、まず大聖堂内の旧聖具室について書いてみようと思います。

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# by lacasamia3 | 2009-09-28 00:13 | フィレンツェお薦め処 | Comments(8)
今朝、メールを開いたら嬉しいニュースが届いていました。親友のYちゃんが昨日の日本時間の9時に元気な女の子を出産したとこのこと♪ Yちゃん、おめでとう。よく頑張ったね。今はゆっくり休んでね。

さて、今週の火曜日、GASでオーダーしていた有機ジャガイモを5キロを受け取りました。GASとは、Gruppo di acquisto solidale と呼ばれるグループです。近隣の小さな農家を支援すること、安全な有機栽培の農作物やチーズ、肉などを直接農家から購入する目的で、市民グループが運営しています。利益は発生させないこと、完全に人力で行われ、企業は参入しないことがモットーなので、参加メンバーはそれぞれ自分の担当する農家のオーダーを集めたり、受け渡しに立ち会います。私は、豚肉担当。最近は牛肉も担当しています。
今回届いたジャガイモを作っているのは、我が家から30キロほど北にある有機農家。
春にGASのメンバーがオーダーを集め、ジャガイモの収穫が始まる9月から月に一度5キロ単位で受け取ります。この方法だと、農家にとっては、種芋を植え付ける量を調節でき、収穫期の確実な収入も読めるという利点があります。値段も、野菜市場や大企業の買い付けに左右されることはありません。
私たちにとっては、納品される週に畑から収穫するから、採れたての有機のジャガイモが食べられるというメリットがあります。


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イタリアでは、大きく分けてpatate gialle(パターテ・ジャッレ=黄色いジャガイモ)とpatate bianche(パターテ・ビアンケ=白いジャガイモ)があります。黄色いジャガイモは日本のメークインのように煮込み料理や、オーブン焼きに使います。一方、白いジャガイモは男爵に似ていて、ニョッキにしたり、トルテッリの中身に使ったりします。
←今回私が受け取ったのは、パターテ・ジャッレ、5キロ、5ユーロ也。
採れたてだからか、全然芽が出ていなくて、調理後もしっかりしていて美味しいです。早速、耐熱皿に切ったジャガイモ+オリーブオイル+ローズマリーを並べてオーブン焼きにしました。ジャガイモがこんなに美味しいなんてビックリ!年中あるような野菜に見えますが、ジャガイモにも旬があるのですね。

GASでの共同購入には、スーパーでは味わえない喜びがあります。

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# by lacasamia3 | 2009-09-26 19:13 | シンプルエコライフ | Comments(14)

フィレンツェで山暮らしをするchihoの田舎便りです。フィレンツェの街歩き情報、イタリア風家庭菜園、お勧めレストラン現地情報、日帰りで行ける街の情報など。フィレンツェの滞在型アパートの紹介サイト「ラ・カーサ・ミーア」を運営しています。


by chiho