フィレンツェ田舎生活便り2

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フィレンツェで山暮らしをするchihoの田舎便りです。フィレンツェの街歩き情報、イタリア風家庭菜園、お勧めレストラン現地情報、日帰りで行ける街の情報など。フィレンツェの滞在型アパートの紹介サイト「ラ・カーサ・ミーア」を運営しています。

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<   2008年 10月 ( 27 )   > この月の画像一覧

ご存知の通り、フィレンツェのメディチ家は、1600年代後半の最後の代の3人兄弟に子供が生まれず、跡継ぎがいないということで、1743年にメディチ家最後の人物アンナ・マリア・ルイーザの死をもって、途絶えてしまいます。親戚同士で結婚をしすぎてしまったことによる医学的な結果と私も思っていたのですが、メディチ家の歴代の当主をそれぞれ観察してみると、フェルディナンド2世(アンナ・マリア・ルイーザの祖父)の代からガタッとモラルのようなものが崩れてしまうのが感じられます。
それまでも、自由恋愛は存在せず、政略結婚なのですが、それなりにお互いに共通点を見出し、夫婦としての信頼関係を築き上げます。ところが、1600年代以降、政治的、経済的な目的での政略結婚が結ばれた時に、それぞれ新郎側、新婦側の両方に、被害者的な意識が生まれ(←それはそれでもっともなんですけれどね)、跡継ぎのために子供を作るものの、お互いに好き勝手なことをやっている・・・みたいな。そうした価値観の変化のようなものがメディチ家の滅亡につながっていったのかも知れません。

子育てって大事だなあとメディチ家の当主たちを見ながらつくづく思いました(笑)。


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←これは、フェルディナンド2世ヴィットーリア・デッレ・ローヴェレの肖像画です。
ウンブリア公国の継承権を狙った「嫁姑の企み」で結婚をさせられた二人です。覚えていますか?結局、嫁姑の企みは見事に失敗してしまうわけですが・・・。

幼少の頃から修道院に入れられ、ひたすら「トスカーナ大公夫人」になるために育てられたヴィットーリア

しきたりばかりを重んじ、対立しあう母親と祖母からの教育を受け、逆に放蕩息子として育つフェルディナンド

全く共通点がないこの二人は、結婚してからもお互いに共通点を見出せないまま、1642年にコジモ(後のコジモ3世)と、1660年にフランチェスコ・マリアの二人の子供をもうけます。
長男がうまれてから次男が生まれるまで、20年近い長い空白の期間があるのですが、これには、どうやらフェルディナンド2世の愛人問題が絡んでいるそうです。

大げさな程に敬虔深い母親や妻とは正反対に、率直で自由奔放な性格のフェルディナンド2世は、フィレンツェの一般市民からは人気がありました。そして、ブルート・デッラ・モレーナ(♂)という小姓がトスカーナ大公フェルディナンド2世の愛人であったことがかなりオープンに知られていたそうです。
ある時、宮廷の中で同性愛が支持され始めたことについて、母親マリア・マッダレーナが「厳しい処罰を受けるべきだ」と言及した所、フェルディナンド2世は、「最初にその処罰を受けるべきなのは自分だ」と答えたそうです(よくよく考えると、この人、母親に面と向かってカミングアウトしているんですよね・汗。それもまた凄いかも)。

そして、ある日、フェルディナンド2世がブルートと浮気をしている現場を、妻ヴィットーリアが目撃してしまうのでした(汗)。それ以来、フェルディナンド2世はヴィットーリアの寝室に立ち入り禁止となってしまいます。(20年間立ち入り禁止だったんでかねえ・汗)

興味深いのは、現在の歴史の本を読んでも、同性愛のことを"vizio"(悪癖)とすること。そして、2000年に生きている私にとってはその表現に違和感を感じること。歴史の本って、それぞれ書かれた時代の価値観を反映する場面が多々ありますが、20世紀の歴史の本と、21世紀の私の価値観がまた違うのかな?と思ったりしました。
個人的には、13歳の子供を政略結婚に巻き込むことのほうが、よっぽど不健全だと思うのですが(笑)。かと言って、果たしてフェルディナンド2世の愛人ブルートが成人していたかどうかと言うのは判らないのですが・・・。まあ、健全か、不健全かなんてかなり主観的な判断基準ですね。

さて、↑こんな二人に育てられた長男コジモ3世はどんな人だったかというと・・・
また次回をお楽しみに♪

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by lacasamia3 | 2008-10-31 00:26 | フィレンツェ小話 | Comments(9)
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昨日からやっと待ちに待った雨が降り始めました。
例年、フィレンツェでは9月の半ば頃からシトシト雨が降り始めるのですが、今年は強烈な高気圧がイタリア全体を覆っていて、9月、10月は本当にお天気続きでした。日本のような梅雨がないので、冬場の降水量が少ないと、翌年の夏の水不足が心配されるのです。
また、我が家の周辺の酪農家では、羊や牛などの家畜の餌は牧草です。だから雨が降らずに牧草の育ちが良くないと餌が不足して大変なのです。
我が家には2つの井戸があります。1つは、地下80メートルから汲み上げて、3軒の家で使っている共同の大きな井戸。そしてもう一つは雨水も流れ込むようにしている小さな井戸。小さな井戸のお水は夏場、畑の水遣りに使っています。

我が家の畑では、野菜の苗が枯れないように、時々水遣りをしていましたが、やはり雨の威力は凄いです。雨がちょっと止んだので、畑に出てみると、苗たちが活き活きとしていました。地中の奥深くまで染み込む雨水は、土をフカフカにしてくれて、苗も大きく根を張ります。

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パオロが種蒔きをした畝からも、芽がポツポツと出てきました。何の野菜だったかな?アブラナ系の種だったと思います。
二十日大根も赤い丸い根っこがチラッと見える位になりました。畑の二十日大根は、洗って葉っぱごと、塩+オリーブオイルでムシャムシャ食べます。ピリッと辛くて美味しいですよ。

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これは、フィレンツェの"cime di rapa"(チーメ・ディ・ラーパ)と呼ばれるアブラナ系の葉もの野菜です。日本の菜の花に比べると、葉ばかりが茂って花の部分は小さいのですが、味は菜の花に似ています。日本の菜の花に似ているプーリアのチーメ・ディ・ラーぺの種も沢山蒔きました。わりと低気温でも育ち、成長のスピードが早いので、秋冬の間の野菜不足を補ってくれる便利野菜です。
ブロッコリーも大分大きくなってきました。

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風に流された雨雲がまたまたやってきて、雨が降り始めました。
良く降るなあ。今日のトスカーナは大雨注意報が出ています。恵の雨とはいえ、被害が出なければ良いのですが・・・

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by lacasamia3 | 2008-10-29 17:59 | フィレンツェで畑 | Comments(10)

ユキちゃんと秋のお散歩

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先週の日曜日、ユキちゃんとアントネッロと3人で我が家の裏の森にお散歩に行きました。
落ち葉が沢山落ちていて、踏むとカサカサというなんとも良い音がします。何の匂いだろう?大きな胡桃の木の下は、とても良い匂いがしていました。落ち葉の匂いかな?

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アントネッロにイチヂクの大きな葉っぱを取ってもらうユキちゃん。葉っぱや木の枝はユキちゃんにとって良い玩具です。


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急な斜面もヘッチャラ!こちらが手を貸す必要もなく、駆け上がります(笑)。
雨が殆ど降らなかった今年の秋は、キノコは不作でした。よく見ると、大きなキノコが1本だけ生えていました。きっと来年用の菌を残すためのキノコなりの生存の智恵なんでしょうね。採らずに、来年のために残しておきました。

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いつもお散歩に出ると思うのですが、例えば私たちが500メートル移動する時、ユキちゃんは実際にはその3倍くらい移動しているんだと思います。放し飼いの犬のお散歩のように、走って先に行っては戻ってきたり、また後ろに戻ったり・・・。凄い運動量です。

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カラフルな落ち葉を愛でながら、秋を感じた日曜日の朝・・・
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by lacasamia3 | 2008-10-28 18:45 | トスカーナ山暮らし | Comments(14)

ガリレオとローマ教皇

地動説を唱えたガリレオがローマ教皇庁により裁判にかけられ有罪判決を受けた「ガリレオ裁判」は歴史上、よく知られています。現在では1616年と1633年に行われた2回の裁判については様々な説があるので、今回の記事は、1つの仮説として読んでいただければ幸いです。
最近、図書館で見つけた"LA SPLENDIDA STORIA DI FIRENZE" Piero Bargellini著に面白いエピソードが載っていたのでご紹介します。

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1610年頃から地動説を言及しはじめたガリレオは1616年に異端審問審査にかけられ、ローマ教皇庁は今後、地動説を唱えないようにとガリレオに命令します。
ところが、1623年、ガリレオの擁護者であり、彼と親交があったフィレンツェ人バルベリーニ司教がローマ教皇ウルバヌス8世(下画像左)として即位します。ガリレオはこれを好機にと考え、「天文対話」を書き始めます。この本は、直接的に地動説を訴えるのではなく、ガリレオの地動説を唱えるサルヴィアーティ、教会の天動説を唱えるシンプリチオ、司会者役のサグレードの3人の対話形式で構成されています。

ガリレオは「天文対話」の原稿をかかえてローマを訪れます。1616年の裁判は嘘のように、ローマでは教皇は勿論のこと、複数の擁護者の歓迎を受けます。貴族フェデリコ・チェーズィが自ら出版費用を負担し、ガリレオの本をローマで刊行する申し出をします。原稿はローマ教皇庁に提出され、数箇所の修正を加えることを条件に出版許可を得ます。

原稿を抱えてフィレンツェに戻ったガリレオはトスカーナ大公フェルディナンド2世(下画像右)に結果を報告し、祝福を受けます。


所が・・・

突如、本の出版を申し出たフェデリコ・チェーズィが急死したという知らせが届き、「天文対話」の出版は暗礁に乗り上げます。焦った周囲の貴族はガリレオにフィレンツェで本を刊行することを勧めますが、教皇庁は「ローマで印刷し、印刷中に1ページずつの細かい修正箇所のチェックを行うということを前提に先に出版許可を出したのだから、フィレンツェで印刷するのであれば、まだ未チェックであったガリレオが持ち帰った「目次」をローマに送るようにと命じます。

この困難に追い討ちをかけるかのように、1630年にフィレンツェではペストが流行します
フェルディナンド2世は、これまで前例がないほど厳しい衛生法を施行し、フィレンツェ外部からの人や物の往来を規制します。このため、「天文対話」の目次や原稿をローマに送られることが不可能となってしまいます。


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時間が経つごとに、ローマ教皇は「このトスカーナ公による異例の厳しい衛生法は、ペストの流行を抑えるためではなく、実は、ガリレオの著書の発行という偉業をフィレンツェで独り占めしようとするトスカーナ公の策略なのではないか?」と疑い始めます。

ガリレオは、自らの残り少ない寿命を考えると、原稿の出版が様々な障害により中断していることに苦しみます。そして1632年、「天文対話」がフィレンツェで出版されます。ペストの猛威もようやく落ち着いたために、早速、印刷された本がローマへと送られます。

ローマ教皇ウルバヌス8世は本の出版を喜ぶどころか、「騙された!」と激高したそうです。
この教皇の態度の変化には、勿論、ペストのためにフィレンツェで出版されたことなどが原因となっていると考えられますが、更に、「『天文対話』の登場人物の一人で教会の天動説を唱え頭の悪い人物として描写されたシンプリチオが、実はウルバヌス8世を風刺したものだ」という話をウルバヌス8世本人に吹き込んだ人物が居たそうです。

結局、このローマ教皇の態度の変化により、ガリレオは再度、異端審問会にかけられ、有罪の判決を受けます。ここで、フィレンツェのフェルディナンド2世が強い態度でガリレオを擁護しなかった裏には、妻でありとても敬虔深かったヴィットーリア・デッラ・ローヴェレが「ローマ教皇に対抗すること=キリスト教会に対抗すること」を強く拒んだからとも想像できます。フェルディナンド2世が強くガリレオを擁護した場合、フェルディナンド2世にも「異端」の疑いをかけられ、ローマ教皇の思うつぼになってしまう危険があったのでしょうね。

出版をめぐるゴタゴタ、ペストの流行、ローマ教皇とトスカーナ大公の確執などに巻き込まれたガリレオは、結局、フィレンツェで自宅謹慎となり亡くなります。カトリック教徒としてお墓に葬ることも禁止されたため、トスカーナ大公は、メディチ家のお墓があるメディチ礼拝堂でガリレオの亡骸を保存し、1737年、メディチ家が途絶える間際に、ようやくサンタクローチェ聖堂に立派な墓標を造り埋葬します。

アントネッロ曰く、「たとえローマで印刷していたとしても、教皇庁の許可は下りなかったさ。最初に許可を出したのは、検閲官が面倒くさがってちゃんと全部読んでいなかったからだよ。」と言っていますが、どうでしょうね・・・。

ガリレオのお墓は、フィレンツェのサンタクローチェ教会内にあります。

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by lacasamia3 | 2008-10-27 18:28 | フィレンツェ小話 | Comments(2)

ユキちゃんと学校の宿題

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ユキちゃんのクラスでは、週に2回、水曜日と金曜日に宿題が出ます。金曜日の宿題は週末のためにちょっぴりページ数が多めです。とはいっても、今はまだ、アルファベットの練習テキストのみで、たった2~3ページの宿題なのですが(笑)。
親としては、出来るだけ「宿題嫌い」の雰囲気を作らないように気をつけています(←私自身、宿題嫌いだったので・笑)。週末の宿題は2つに分けて、私が土曜日の午前中、アントネッロが日曜日の午前中、どちらも朝食の後すぐにユキちゃんと宿題をやるようにしています。

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もうちょっと大きくなったら自分でやるようになるのでしょうね。今は、過保護かも知れないけれど、こうして私たちも横について宿題をやることで、学校の宿題をきちんとやる習慣をつけること、丁寧に時間をかけてやること、宿題の中にも楽しさを見つけることの手助けをしてあげるのが大事だと思っています。


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最初のうち、活字体のアルファベットはもうきちんと書けていたユキちゃんですが、筆記体を練習する時に、グニャグニャでどうしても上手にお手本どおりに書くことが出来なかったのです。何度練習しても上手く書けないので良く見たら、左利きのユキちゃんは、左側にあるお手本が鉛筆を持つ手で隠れてしまい、見えなかったんですよね。だから、一生懸命、お手本の形を記憶しながら、でも記憶に沿って書いていたんですね(笑)。

それに気付いて以来は、お手本を私たちが別の紙に書き写し、上に置いてあげることにしました。日本だったら縦書きだから、左利きでもお手本は見えるんでしょうね。アルファベットだと左から右に書くからお手本は必ず左側にあるんです。

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絵を描くときも、線を右から左に引いたり、下から上に引いたり・・・。右利きの私から見ると不思議な方向感覚ですが、本人は器用に描いています。

そうそう、宿題でたまに困るのが、「筆記体の大文字の書き順」。私、習ったかなあ??←これは「P」の筆記体の大文字です。少しずつ、私もユキちゃんと一緒に学ぶことが増えてきそうです。

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by lacasamia3 | 2008-10-25 22:35 | イタリア子育て~小学校編 | Comments(22)
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昨晩、フィレンツェの街の中を仕事で歩き続け、くたくたになって帰宅したら、アントネッロがユキちゃんと具入りフォカッチャを作っているところでした。
薪ストーブには火が入れてあり、家の中は、ホカホカでした。ストーブの上に干してある洗濯物とコロッと置いてある焼き栗はいつもの光景です。


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お料理をするアントネッロを見ながら、冷えたビールを1杯♪
フォカッチャの生地を練る様子ってリラックス効果があるかも。ジーっと見ていると何だかじんわりと疲れが取れて、「家に帰ったぞ~」という気分になります(笑)。

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アントネッロが作るフォカッチャは野菜が沢山です。
ビエトラ、チコリ、ラーパ(かぶ菜の1種)、トマト、ポロねぎ、ケッパーを炒めたものを、生地に挟んで発酵させます。これを焼き上げて出来上がり♪

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アントネッロが作るフォカッチャは、ふかふかで優しい味がします。

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by lacasamia3 | 2008-10-25 02:55 | 山の食卓 | Comments(14)
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月曜日の朝、フィレンツェで再び大規模な学生デモがありました。
仕事での移動の途中、目抜き通りのカルツァイウォーリ通りを横切ろうとしたら、デモ行進に出会いました。
今、イタリア中で学生デモが行われています。ベルルスコーニ首相が上院で可決しようとしている教育改革に反対するデモです。この条例は、小学校も含めてイタリアの教育の場を大きく変えてしまうものなのです。特に問題視されているのが、公立大学へ割り当てられる予算の大幅な削減。既にかなりの予算が削減されているにも関わらず、これ以上予算を削減し、足りない分は一般の企業からの寄付金で補うというものですが、実際にはこの条例が施行されてしまうと、2年間で殆どの公立大学が閉鎖されてしまうであろうと言われています。

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公立大学が閉鎖されてしまった場合、予想されるのは、私立大学の増加と、公立大学への入学志願者の集中→入学定員制の強化→受験競争の過熱化・・・というどこかで聞いたことがあるような(汗)状況です。
また、一般企業の寄付金が集まる学部、大学は限られた分のみで、企業が興味を示さない分野の学問は除外されてしまいます。この教育改革には多くの大学教員、研究者達も反対しています。
フィレンツェのシニョリーア広場では、シンボリックな講義活動として天体物理学者マルゲリータ・ハックが2000人の学生の前で屋外授業を行ったそうです。

高いレベルを誇り長い歴史を持つイタリアの大学からは、予算削減のために優秀な研究者がどんどん海外への流出しています。

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私が、丁度立っていた位置は、ベルルスコーニ首相が率いる「フォルツァイタリア」党のフィレンツェ事務所(三色の旗が掲げてある場所です)の前でした。
挑発するかのように窓から外を見下ろしていた数人の党員達に向かって、学生達はスローガンを叫びます。

救われるのは、学生達の明るい顔。こうした状況の中でも、ポジティヴな雰囲気が漂うのは、彼らの若さゆえなのでしょうか。高校生も、大学生も、女子も男子も、自分達の未来の為にこうしてデモ行進をしているのです。それは、彼らの未来だけではなく、ユキちゃんの未来でもあります。

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大学の授業を阻止して、意思表示をしようとする学生達に対して、昨日、ベルルスコーニ首相は、「表現の自由の枠を超えている。学びたい学生が授業を受ける権利がある。学生やその家族の為にも、反対派の学生が大学の授業を阻止した場合には、警察の介入もありえる」という声明を出しました。もし、ユキちゃんが大学生だったとして、このような事態になったとしても、きっと家族としては、警察に介入してもらってまで、授業を行って欲しくないと思うでしょう。大学の授業よりも、今もっと大切なものがあるはずです。
しかも、学生達との対話の場を全く持たずに、いきなり武力を行使するなんて、民主主義国家の首相の発言とは思えません。

昨日、「警察介入」なんて物騒なことを言った張本人ベルルスコーニ首相が、今日の午後「そんなことは言った覚えがない。誤解だ」(←大ウソ)と前言を撤回しました。

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フィレンツェのアルノ河沿いの高校には、こんな垂れ幕が掲げられていました。
"I MURI HANNO ORECCHIE. LE VOSTRE ORECCHIE HANNO MURI. ABBATTIAMOLI."
(壁に耳あり。おまえ達の耳には壁がある。壁を崩そうじゃないか)

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教育改革に揺れるイタリア・・・どうなるのでしょう。

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by lacasamia3 | 2008-10-24 03:14 | フィレンツェという町 | Comments(31)

幻想の街

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ここ2日間ちょっと忙しく、やっと今朝ほうじ茶をのみながら、フーっと一息です。
朝6時前に家を出て、フィレンツェで何本か仕事をし、午後ユキちゃんのお迎えのためにバタバタと戻るという2日間でした。忙しいアントネッロに替わっての食事当番もあり、夜9時にユキちゃんを寝かしつけた後で片付け物を・・・という、考えてみれば普通の働くお母さんのペースなんですよね。私の場合、普段は、家事と子育ての部分がかなり軽減されているワケで・・・。ホント、家事も、子育ても、仕事もこなす働くお母さん、尊敬しますっ!
写真は朝7時~8時頃のフィレンツェの街の様子です。


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車も、人も殆ど通らず、建物だけがひっそりと佇んでいる様子は、まるで中世の時代にタイムスリップをしたよう。
普段はツーリストで溢れるベッキオ橋(左)洗礼堂前(右)もガランとしています。


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早朝のフィレンツェの情景は何世紀にも渡って変わらないんでしょうね・・・
今日もこれからフィレンツェに仕事です。頑張るぞっ!

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by lacasamia3 | 2008-10-23 16:07 | フィレンツェという町 | Comments(12)

メディチ家と甲冑展

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先日、我が家の近くで開かれている小さな展覧会に行ってきました。
今年の6月から11月末まで我が家の近くでは、5箇所でMugello culla del Rinascimento(ムジェッロ、ルネサンスのゆりかご)という展覧会が開かれています。どれも小さい企画展ですが、メディチ家にテーマを絞っての展示はなかなか面白いです。他の展覧会もまたご紹介しますね。
(mさん、先に行ってしまってごめんなさい~。ネタバレもあるので、帰ってきてから読んでね。小さいけれどなかなか良い展覧会でしたよ)

さて、今回私が行ったのは、スカルペリーア村のお城の中で行われている「メディチ家と甲冑」展です。たったの2部屋のみで、点数も少ないのですが、普段はなかなかじっくりと見る機会がなかった甲冑や武器を鑑賞することができ、とても興味深かったです。
フィレンツェの街中からバスで行くことが出来る"Museo Stibbert"(スティーベルト博物館)や、ウフィッツィ美術館の裏側にあるバルジェッロ国立博物館でもこうした甲冑のコレクションを見ることが出来ます。

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写真左: "corrazzina"(コラッツィーナ)。写真では見えませんが、内側にはウロコのような金属片が外側からの鋲で打ちつけてあります。戦場だけではなく、貴族達は、普段の市民生活の中でも、衣服の下にこのコラッツィーナを着ていたそうです。それだけ日常生活も危険に満ちていたんでしょうね。
1478年4月26日に起こったパッツィ家によるクーデターの際には、ロレンツォ豪華王の弟、ジュリアーノがフィレンツェのドゥオーモへミサへと向かう途中、暗殺者達はジュリアーノに挨拶をし抱擁をする振りをしながら、衣服の下にこのコラッツィーナを着ていない事を確かめたのだそうです。その後、ジュリアーノは暗殺されてしまいます。

写真右: "brigantina"(ブリガンティーナ)。うろこ状になっているのである程度の体の動きに合わせるつくりですが、かなり動きにくそうです(笑)。

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写真左: 手袋も金属素材で編んであります。

写真右: "elmetto a cavallo"(エルメット・ア・カバッロ)。1500年代にイタリアでも流行った鉄かぶとです。神聖ローマ帝国のカール5世の軍で利用されていたものがイタリアで流行したそうです。
一見、防御は完璧なように見えますが、目の部分の隙間に矢が刺さってしまう(汗)こともあったそうです。


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きっとこんな立派な甲冑を身につけることが出来たのは一部の騎士のみで、歩兵達はもっと質素ないでたちだったのでしょうね。それでも、実物の甲冑を目の前にすると、よく映画の戦闘シーンなどの効果音として使われる、キーン、ガシャーンという音が聞こえてくるようです。

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これはコジモ1世が創立した「聖ステーファノの騎士団」の甲冑です。地中海を荒らす海賊退治を目的とし設立され、レパントの海戦にも参戦したそうです。
よく見ると、それぞれの部分は、ベルトで固定されています。


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体の動きを考慮して作られているとはいえ・・・動きにくかっただろうなあ。しかも船の上でこれを着用したらモーレツに暑そうです。

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これは、フランチェスコ1世(ビアンカ・カペッロとのラブストーリー覚えていますか?)のために作られたお祭り用の甲冑。お祭り用とはいえ、こんな人が前から来たらかなり怖いかも(笑)。
私はイノシシかと思いましたが、「牙が違う」とアントネッロに却下されました。何の動物なんでしょうね・・・。


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メディチ家のメンバーの中で、実戦を経験した数少ない人物の一人、ジョヴァンニ・ダッレ・バンデネーレの胸像と肖像です。
同一人物とは思えないほど、似ていないのですが、成人してからは戦場で過ごすことが多く、殆どフィレンツェに戻ることがなかったから正確な肖像画が残っていないのかも知れませんね。


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無理やり武力でフィレンツェに戻った暴君アレッサンドロ・ディ・メディチは、甲冑姿での肖像画を何枚か残していますが、コジモ1世以降、メディチ家の当主が甲冑姿で肖像を描かせる事が習慣になります。立派な甲冑姿でポーズをとる殆どの人物は、実際には戦闘に行ったことがないんですが(笑)。
(上右のフェルディナンド2世の肖像画は展覧会とは関係ありません)


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そしてメディチ家が絶えてしまう1世代前、コジモ三世(この肖像画は展覧会とは関係ありません)。
この人は怠け者で有名で、かなりの肥満体だったそうです。歩くのもやっとという彼の甲冑姿・・・。ソファーに座り、ブーツも脱いでしまって、リボンが付いたお洒落靴を履いた足をクッションの上に乗せています(笑)。

Medici in Armi
Palazzo dei Vicari ( Scarperia)
木曜日~日曜日 10時~13時、15時~19時

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by lacasamia3 | 2008-10-21 01:51 | フィレンツェから日帰りで行く町 | Comments(14)

食事当番続行中です

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ここ数日、仕事が忙しいアントネッロに替わって、平日は私が食事当番です。
普段、晩御飯の支度はアントネッロに任せっきりなので、たまにこういう状況になると、朝から考え込んでしまうというか(笑)、メニューが浮かびません。しかも、冷蔵庫や畑にあるもので手早く済まそうという下心があるので、更にメニューが浮かばず・・・

そこで、とっても簡単で、私でも(笑)美味しく出来た1品をご紹介します。
←はイタリアでは一般的なzucca(ズッカ=カボチャ)です。カボチャと言っても日本のものとは随分違い、瓜のように細長かったり、丸くて平たい形だったりして、皮はオレンジ色です。最近は、たまに大きなスーパーなどに行くと、皮が緑色で中がオレンジ色の日本のカボチャに似たカボチャが売り場の片隅に売られていますが、通常はこの写真にあるような皮がオレンジ色の「水カボチャ」タイプが主流です。
このカボチャは筋が多く、とても水っぽいので、煮ても、天ぷらにしても、べチャべチャして甘くなく全然美味しくないんです。それ以来、我が家では殆どお料理に使わなくなった野菜ですが、プーリアの義母さんから習ったスープにしてみるととても美味しく出来ました。

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材料:
カボチャ
ジャガイモ

オリーブオイル
トーストしたパン
みじん切りにしたローズマリー
牛乳少々

カボチャとジャガイモは皮を剥いて圧力鍋にいれ、コップ1杯分の水を加え、火をつけてからシューッという音がし始めてから10分間加熱します。お湯をきって野菜をハンドミキサーでクリーム状にし(水気が足りなければ牛乳を少し加えます)、塩で味付けします。
お皿にトーストパンを並べ、上からスープを注ぎ、最後にローズマリーのみじん切りとオリーブオイルを振りかけて出来上がりです♪

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ユキちゃんも大好きなスープ。
椅子の上にクッションを乗せるのももどかしく、サッサとスプーンを持ってカボチャのスープに突進してきました(笑)。
畑の野菜炒めをセコンドにして、何とかこの日はクリアーです(ホッ)。

今晩は何にしようかなあ・・・?

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by lacasamia3 | 2008-10-20 16:04 | 山の食卓 | Comments(14)