フィレンツェ田舎生活便り2

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フィレンツェで山暮らしをするchihoの田舎便りです。フィレンツェの街歩き情報、イタリア風家庭菜園、お勧めレストラン現地情報、日帰りで行ける街の情報など。フィレンツェの滞在型アパートの紹介サイト「ラ・カーサ・ミーア」を運営しています。

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ミケランジェロとメディチ家のお墓~メディチ家礼拝堂新聖具室

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さて、サンロレンツォ教会を右側から見ると、円形の新聖具室の屋根が見えます(白い釣鐘状の明かり取りが見えている屋根です)。実際には、ドナテッロ&ブルネッレスキ作の旧聖具室と対峙する位置にあり、大きさもほぼ同じです。
現在の入り口は後方から。
展示順ではないのですが、時代順に、今回はまず新聖具室から見てみましょう。この新聖具室は、メディチ家出身のローマ教皇レオ10世の依頼で、ミケランジェロにより内部建築と彫刻群の制作が開始され、その後未完のまま現在に至ります。

この新聖具室の制作(1520年~34年)は、当時のフィレンツェの政変に大きく影響されます。
青字はこの新聖具室に深く関わりのある事柄です。

1478年 ジュリアーノ・ディ・メディチ(ロレンツォ豪華王の弟)がパッツィ家のメンバーにより暗殺される。
1492年 ロレンツォ豪華王死去 (当時ミケランジェロ17歳)
1494年 メディチ家フィレンツェより追放
1498年 シニョリーア広場にてドメニコ・サヴォナローラ火刑
1512年 メディチ家がフィレンツェに戻ることが許される
1513年 ジョヴァンニ・ディ・メディチ(ロレンツォ豪華王次男)がローマ教皇レオ10世として即位
1516年 ヌムール公ジュリアーノ・ディ・メディチ死去
1519年 ウルビーノ公ロレンツォ・ディ・メディチ死去
1520年 ローマ教皇レオ10世の依頼を受け、ミケランジェロ(当時43歳)がメディチ家礼拝堂の彫刻群を製作開始
1521年 レオ10世死去
1522年 ジュリオ・デ・メディチ(ロレンツォ豪華王の弟ジュリアーノの私生児)がローマ教皇ユリウス7世として即位
1527年 カール5世によりローマ略奪
1529-30年 カール5世によりフィレンツェ包囲。ミケランジェロ、フィレンツェ共和国防衛のために要塞設計
1531年 カール5世フィレンツェ占領
1531年 アレッサンドロ・デイ・メディチ(ユリウス7世の私生児)がメディチ家当主となりフィレンツェを統治。これによりメディチ家がフィレンツェに戻る
1533年 カテリーナ・デイ・メディチ(ウルビーノ公ロレンツォ・デイ・メディチの娘)がオルレアン公アンリ(後のフランス国王アンリ2世)と結婚
1534年 暴君アレッサンドロを恐れたミケランジェロは、未完のメディチ家礼拝堂を残し、フィレンツェを離れ、ローマへ向かう。ローマ教皇ユリウス7世死去 


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新聖具室は、ロレンツォ豪華王の次男であり、ローマ教皇となったレオ10世(画像左)の依頼で1520年より制作が開始されます。
レオ10世はここに、父親であるロレンツォ豪華王、叔父のジュリアーノ、弟のネムール公ジュリアーノ、甥のウルビーノ公ロレンツォを埋葬することを望みます。


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旧聖具室と同様に、ほぼ正方形の形です。上の写真は、入って正面にある祭壇(後世の制作)の後ろ側から見ています(奥の右側の扉が入り口)。
写真内では左側に「ヌムール公ジュリアーノ・ディ・メディチの墓」、右側に「ウルビーノ公ロレンツォ・ディ・メディチの墓」、そして祭壇の向かい側正面には「ロレンツォ豪華王とジュリアーノ・ディ・メディチの墓」があります。
今回は「メディチ家のお墓」という視点で見てみたいので、制作順ではなく、埋葬されている人物順に見てみましょう。


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「ロレンツォ豪華王とジュリアーノ・ディ・メディチの墓」は、中央の聖母子像と左右の聖コズマと聖ダミアーノの像で構成されています。未完であるために、彫像のみでモニュメントの部分はありません。メディチ家の守護聖人であった2聖人の像は、ミケランジェロのモデルを元に弟子2人により制作されます。一方、聖母子像はミケランジェロ作。


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左はジュリアーノ・ディ・メディチ。ロレンツォ豪華王の弟です。25歳の若さで暗殺されます。
右はロレンツォ豪華王。フィレンツェのメディチ家最盛期を象徴する人物です。少年時代のミケランジェロはロレンツォ豪華王の庇護を受け、彼は、メディチ家庭園の豊かなローマ彫刻のコレクションから多くを学んだと言われています。
ロレンツォ豪華王が死去した時、ミケランジェロは17歳。後年、彼はどんな想いでロレンツォ豪華王の墓を制作したのでしょう・・・
ちなみに埋葬されている二人の人物は、初めは旧聖具室に埋葬されていたのです。その後、二人の亡骸は1559年にこの3体の彫像の下に置かれた基礎部分に移動されます。


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「授乳中の聖母」というテーマはミケランジェロ以外にも見られますが、体を捻じ曲げるような幼子の仕草はミケランジェロならではですね。


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片手で幼子を支える聖母は、まるで幼子の運命を予感するような、堅い悲しげな表情です。でも女性の強さ、逞しさも感じます。余談ですが、女性の彫像を彫る時も自分の弟子など男性モデルを使うことが多かったミケランジェロ。もしかしたらこの聖母の顔も男性モデルなのかも知れません。

ミケランジェロの作品はどれを見ても、それぞれの作品1点ずつが、傑作です。

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Commented by Mattina at 2009-10-02 01:10 x
ジュリアーノ暗殺の話題に、またお邪魔せずにはいられなくなりました。今、遅まきながら辻邦生さんの『春の戴冠』を読んでいるもので・・。次に新聖具室を訪れるときには彫刻作品として見るというよりは、もっと感情移入して、彼らのお墓として見るだろうな・・。ミケランジェロの《授乳の聖母》の幼子のポーズ!さすが彫刻を専門にされていたChihoさんの視線ですね。
Commented by Sette at 2009-10-02 01:49 x
全体が写ってる写真の右側の頬杖ついてる像。多分、私が絵葉書を買ったやつです。すごい美しい顔だったので(笑)こんなに広かったのか~。なんかもっと狭い記憶が(笑)あてになりませんね、私の記憶は(笑)
Commented by ★ネイティヴ英語環境.com! at 2009-10-02 18:02 x

とても詳細にレポートしていただいて

勉強になります。
Commented by lacasamia3 at 2009-10-05 17:53
Mattinaさん>うんうん、学生時代はそうでもなかったのですが、こういう作品を鑑賞する時、最近の私は思いっきり感情移入をしてしまいます。
Commented by lacasamia3 at 2009-10-05 17:55
Setteさん>写真では人が居ないので余慶に広くみえるんでしょうね。実際には結構狭くて間近で見るような感じですよね。
Commented by lacasamia3 at 2009-10-05 17:56
ネイティヴさん>こうして丁寧に見てみると、フィレンツェって見所が多い街だなあってツクヅク感じます。
Commented by gianca at 2009-10-05 23:17 x
ミケランジェロって本当に、偉大な芸術家ですよね。直接肉眼で見ると、どの作品も、どっきとします。
Commented by lacasamia3 at 2009-10-08 23:30
giancaさん>ホント、やはり細部まで偉大さがかもし出されています。ミケランジェロの作品って写真で見るとの実際に本物を見た時の差が凄いですよね。やはり本物は凄いです。
by lacasamia3 | 2009-10-01 21:02 | フィレンツェお薦め処 | Comments(8)